《に》げようとしたが毒がまはつて躯《からだ》が自由になりません。○「太い女だ、ひどい奴《やつ》があるもんだ、どうかしてもう一度|江戸《えど》の土《つち》を踏《ふ》み、女房《にようばう》子《こ》に会《あ》つて死にたいものだ、お祖師様《そしさま》の罰《ばち》でも当《あた》つたのかしら。逃《に》げ様《やう》として躯《からだ》を戸《と》に当《あ》てたから外《はづ》れると戸《と》と共《とも》に庭にころがり落ちたが、○「南無妙法蓮華経《なむめうほふれんげきやう》、妙法蓮華経《めうほふれんげきやう》。とお題目《だいもく》を唱《とな》へながら雪の中に這《は》ひました。その時つい気のついたは小《こ》むろ山《さん》から頂《いたゞ》いて来《き》た毒消《どくけし》の御封《ごふう》、これ幸《さいは》ひと懐中《ふところ》に手を入れましたが包《つゝ》みのまゝ口へ入《い》れて雪をつかんで入《い》れて呑《の》みましたが、毒消《どくけし》の御利益《ごりやく》か、いゝあんばいに躯《からだ》が利《き》いて来《き》ました、斯《か》うなると慾《よく》が出てまた上《あが》つて包《つゝみ》を斜《はす》に背負《せお》ひ道中差《だうちゆうざし》をさして逃《に》げ出しました。女「野郎《やらう》気《き》がついたな、鉄砲《てつぱう》で射殺《ぶちころ》してしまふ。これを聞いていよ/\驚《おどろ》き雪《ゆき》の中《なか》を逃《に》げたがあとからおくまは火縄筒《ひなはづゝ》を持つて追つて来ます。旅の人はうしろをふり向くとチラ/\火が見える。前《まへ》は東海道《とうかいだう》岩淵《いはぶち》へ落《おと》す急流《きふりう》、しかもこゝは釜《かま》が淵《ふち》と申《まう》す難所《なんじよ》でございます。お祖師《そし》が身延《みのぶ》へ参詣《さんけい》に来《き》ても鰍沢《かじかざは》の舟には乗るなとおつしやつた、しかしこゝより外《ほか》に遁《のが》れるところはない鉄砲《てつぱう》で射《ぶ》ち殺されるかそれとも助かるか一かばちか○「南無妙法蓮華経《なむめうほふれんげきやう》」とお題目《だいもく》をとなへながら流れをのぞんで飛び込みました。下につないであつた山筏《やまいかだ》の上へ落ちると、佩《さ》してゐた道中差《だうちゆうざし》がスルリと鞘走《さやばし》つて、それが筏《いかだ》を繋《もや》つた綱《つな》にふれるとプツリと切れて筏《いかだ》がこはれるとガラ/\/\と流れ出しました。○「南無妙法蓮華経《なむめうほふれんげきやう》々々々々々々々《なむめうほふれんげきやう》」と一心《いつしん》にお題目《だいもく》をとなへてゐると筏《いかだ》はだん/\くづれて自分の乗つてゐる一本になりました。そこへ追つて来たおくまは岩に片足をかけて狙《ねらひ》を定《さだ》めて引《ひ》きがねを引くとズドーンとこだまして筒《つゝ》をはなれた弾丸《たま》は旅人《たびゞと》の髪《かみ》をかすつて向《むか》うの岩角《いはかど》にポーンと当《あた》りました。○「アツ有難《ありがた》いたつた一本のお材木《ざいもく》で助つた。
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(註。最初《さいしよ》此話《このはなし》は芝居話《しばゐばなし》でしたがおくまの弾丸《たま》をのがれての白《せりふ》を左《さ》に記《しる》して置きます、)
「思ひがけなき雪の夜に御封《ごふう》と祖師《そし》の利益《りやく》にて、不思議と命《いのち》助《たす》かりしは、妙法蓮華経《めうほふれんげきやう》の七字より、一|時《じ》に落《おと》す釜《かま》ヶ|淵《ふち》、矢《や》を射《い》る水より鉄砲《てつぱう》の肩を擦《こす》つてドツサリと、岩間《いはま》に響《ひゞ》く強薬《つよぐすり》、名《な》も月《つき》の輪《わ》のおくまとは、食《く》ひ詰者《つめもの》と白浪《しらなみ》の深き企《たく》みに当《あた》りしは後《のち》の話の種《たね》ヶ|島《しま》、危《あぶ》ないことで……(ドン/\/\/\激《はげ》しき水音《みづおと》)あつたよなア――これでまづ今晩《こんばん》はこれぎり――。」
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[#地から1字上げ](一朝口演、浪上義三郎氏筆記)



底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
   2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
   1964(昭和39)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年6月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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