鰍沢雪の夜噺(小室山の御封、玉子酒、熊の膏薬)
三遊亭円朝

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)降《ふ》るな

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|題《だい》噺《ばなし》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)踏《ふ》み分《わ》け/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 これは三|題《だい》噺《ばなし》でございます。○「ひどく降《ふ》るな、久《ひさ》しいあとに親父《おやぢ》が身延山《みのぶさん》へ参詣《さんけい》に行《い》つた時にやつぱり雪の為《た》めに難渋《なんじふ》して木の下で夜《よ》を明《あか》したとのことだがお祖師様《そしさま》の罰《ばち》でもあたつてゐるのかしら、斯《か》う降《ふ》られては野宿《のじゆく》でもしなければなるまい、宿屋《やどや》は此近所《このきんじよ》にはなし、うム向《むか》うに灯《ひ》が見《み》えるが人家《じんか》があるのだらう。雪を踏《ふ》み分《わ》け/\それに近《ちか》よりまして○「御免《ごめん》なさいまし。女「どなたです。○「私《わたし》は身延山《みのぶさん》へ参詣《さんけい》に参《まゐ》つた者ですが、雪の為《た》めに難渋《なんじふ》して宿屋《やどや》もなにもないやうでございますが、まことに何《ど》うも御厄介《ごやくかい》でございませうが今晩《こんばん》たゞ夜《よ》を明《あか》す丈《だ》けでよろしうございます、何《ど》うか御厄介《ごやくかい》になりたいものでございますが、如何《いかゞ》でございませう。女「それはお気の毒さまですねえ、お入《はい》んなさいまし、別に御馳走《ごちそう》と云《い》ふものはありませんが、そこは開《あ》きますからお入《はい》んなさい。○「はい有難《ありがた》うございます。笠《かさ》を脱《と》つて雪を払《はら》ひ内《うち》に入《はい》ると、女「囲炉裡《ゐろり》に焚火《たきび》をしてお当《あた》んなさいまし、お困《こま》んなすつたらう此雪《このゆき》では、もう此近《このちかく》は辺僻《へんぴ》でございまして御馳走《ごちそう》するものもございません。○「何《ど》ういたしましてお蔭様《かげさま》で助かりましてございます。女「そこに木《き》の葉《は》がありますよ、焚付《たきつけ》がありますから。囲炉裡《ゐろり》の中《なか》に枯木《かれき》を入《い》れフーツと吹《ふ》くとどつと燃《も》え上《あが》りました。その火の光りでこゝに居《を》ります女を見ると、年頃《としごろ》は三十二三|服装《なり》は茶弁慶《ちやべんけい》の上田《うへだ》の薄《うす》い褞袍《どてら》を被《き》て居《を》りまして、頭髪《つむり》は結髪《むすびがみ》でございまして、目《め》もとに愛嬌《あいけう》のある仇《あだ》めいた女ですが、何《ど》うしたことか咽喉《のど》から頬《ほゝ》へかけて突《つ》いた様《やう》な傷《きず》がございます。女「そこへ草鞋《わらぢ》を踏込《ふみこ》んでお当《あた》んなさいまし。○「有難《ありがた》うございます……お内儀《かみ》さんえ、間違《まちが》つたら御免《ごめん》なすつて下さいまし、人違《ひとちが》ひと云《い》ふことはございますから、あなたはお言葉の御様子《ごやうす》では此《こ》の鰍沢《かじかざは》のお生《うま》れではないやうでございますな。女「さうですよ、江戸《えど》で生《うま》れたんですよ。○「江戸《えど》は何《ど》の辺《へん》でございますか。女「生《うま》れは日本橋《にほんばし》の近所ですが観音様《くわんおんさま》のうしろに長い間ゐたことがありますよ。○「へえ観音様《くわんおんさま》のうしろに……あなたは吉原《よしはら》の熊蔵丸屋《くまざうまるや》の月の戸《と》華魁《おいらん》ぢやアございませんか。女「おや何《ど》うしてわたしを御存知《ごぞんぢ》です。男「華魁《おいらん》ですかどうもまことにお見受《みう》け申《まう》したお方《かた》だと存《ぞん》じましたが、只今《たゞいま》はお一人ですか。女「いえ配偶者《つれあひ》があるんですよ。男「左様《さやう》でございますか、私《わたし》は久《ひさ》しい以前《いぜん》二の酉《とり》の時に一人《ひとり》伴《つれ》があつて丸屋《まるや》に上《あが》り、あなたが出て下《くだ》すつて親切にして下《くだ》すつた、翌年《よくねん》のやはり二の酉《とり》の時に久《ひさ》し振《ぶ》りで丸屋《まるや》へ上《あが》ると、あなたは情死《しんぢゆう》なすつたと云《い》ふことで、あゝ飛んだことをした、いゝ華魁《おいらん》であつたが惜《を》しいことをしてしまつた、それからあなたの俗名《ぞくみやう》月《つき》の戸《と》華魁《おいらん》と書いて毎日|線香《せんかう》を上《あ》げて居《を》りますが夢の様《やう》でございます。女「実《じつ》はね情死《しんぢゆう》を為《し》そこなひました、相手《あひて》は本町《ほんちやう》の薬屋《くすりや》の息子さんで、二人とも助かりまして品川溜《しながはだめ》へ預《あづ》けられて、すんでに女太夫《をんなたいふ》に出る処《ところ》をいゝあんばいに切《き》り抜《ぬ》けてこゝに来《き》てゐますが。男「左様《さやう》でございますか、今日《けふ》は旦那《だんな》は。女「商《あきな》ひに行《い》つて留守《るす》でございます。男「何《な》んの御商売《ごしやうばい》でございます。女「是《これ》と云《い》ふ職《しよく》はありませんが薬屋《くすりや》の息子でございますから、熊《くま》の膏薬《かうやく》を練《ね》ることを知つて居《を》りますから、膏薬《かうやく》を拵《こしら》へて山越《やまごえ》をしてあつち此方《こつち》を売《う》つてゐるのでございます。男「へえー芝居《しばゐ》にありさうですな、河竹《かはたけ》新《しん》七さんでも書きさうな狂言《きやうげん》だ、亀裂《ひゞ》皹《あかぎれ》を隠《かく》さう為《た》めに亭主《ていしゆ》は熊《くま》の膏薬売《かうやくう》り、イヤもう何処《どこ》で何《ど》う云《い》ふ方《かた》にお目にかゝるか知れません。いくらか遣《や》らうとしたが小出《こだ》しの財布《さいふ》にお銭《あし》がありませんから紺縮緬《こんちりめん》の胴巻《どうまき》の中から出したは三|両《りやう》、○「お内儀《かみ》さんまことに失礼《しつれい》でございますが、何《なに》かお土産《みやげ》と云《い》つた処《ところ》で斯《か》う云《い》ふ仕儀《しぎ》でございますから、御主人《ごしゆじん》がお帰《かへ》りになつたら一口《ひとくち》何《ど》うぞ上《あ》げて下さいまし。女「すみませんねこんな御心配をなすつては、あなたお酒《さけ》は上《あが》りますか。○「些《すこ》し位《ぐらゐ》はいたゞきます。女「こゝは田舎《ゐなか》でいやな香《か》がありますが玉子酒《たまござけ》にするとその香《か》を消すさうでございます、それに暖《あたゝま》つて宜《よ》うございます。燗鍋《かんなべ》を囲炉裡《ゐろり》にかけて玉子を二ツ三ツポン/\と中に入れましたが早速《さつそく》玉子酒《たまござけ》が出来《でき》ました。女「此湯呑《このゆのみ》でお上《あが》んなさいまし、お酌《しやく》をしませう。○「久《ひさ》し振《ぶ》りであなたにお目にかゝつてそのお酌《しやく》で頂《いたゞ》くのはお祖師様《そしさま》の引《ひ》き合《あは》せでございませう、イエたんとは頂《いたゞ》きません。女「さぞくたびれたでございませう、此次《このつぎ》の座敷《ざしき》はきたなくつて狭《せま》うございますが、蒲団《ふとん》の皮《かは》も取《と》り替《か》へたばかりでまだ垢《あか》もたんと附《つ》きませんから、緩《ゆつ》くりお休みなさいまし、それに以前《もと》吉原《よしはら》で一遍《いつぺん》でもあなたの所へ出たことがあるんですから、良人《うちのひと》に知れると悋気《りんき》ではありませんが、厭《いや》な顔でもされるとあなたも御迷惑《ごめいわく》でございませうから内々《ない/\》で。○「へえーいえもうやきもちを焼《や》かれる雁首《がんくび》でもありませんが、人情《にんじやう》でございますから、まるつきり見ず知らずで御厄介《ごやくかい》になります。女「お休みなさいまし。○「それでは御免《ごめん》下《くだ》さい。次《つぎ》の間《ま》に行《ゆ》く。あとに女《をんな》は亭主《ていしゆ》が帰《かへ》つて来《き》たならば飲《の》ませようと思つて買つて置いた酒をお客に飲《の》ましてしまつたのですから、買つて置かうと糸立《いとだて》を巻《ま》いて手拭《てぬぐひ》を冠《かむ》り、藁雪沓《わらかんじき》を穿《は》きまして徳利《とくり》を持《も》つて出かけました。入《い》れ替《かは》つて帰《かへ》つて来《き》たのは熊《くま》の膏薬《かうやく》の伝次郎《でんじらう》、やち草《ぐさ》で編《あ》んだ笠《かさ》を冠《かむ》り狸《たぬき》の毛皮《けがは》の袖《そで》なしを被《き》て、糧切《まぎり》は藤《ふぢ》づるで鞘《さや》が出来《でき》てゐる。これを腰にぶらさげ熊《くま》の膏薬《かうやく》の入《はい》つた箱を斜《はす》に背負《せお》ひ鉄雪沓《てつかんじき》を穿《は》いて、伝「オイおくま、オイお熊《くま》どこへ行《い》つたんだな、おくま、手水場《てうづば》か、めつぽふけえ降《ふ》りやアがる、焚火《たきび》をしたまゝ居《ゐ》ねえが今頃《いまごろ》どこへ行《い》つたのだらう、女房《にようばう》は堅気《かたぎ》にかぎると云《い》ふが、あんな女《をんな》を嚊《かゝ》アにすると三年の不作《ふさく》だ。※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》し合羽《がつぱ》に笠《かさ》を脱《ぬ》いで壁《かべ》にかけ、伝「何《な》んだ玉子酒《たまござけ》をして食《く》ひやがつて、亭主《ていしゆ》は山越《やまごえ》をして方々《はう/″\》商《あきなひ》をしてゐるに、嬶《かゝ》アは玉子酒《たまござけ》をして食《くら》やアがる、まだあまつてゐるが飲《の》んでやれ、オイ誰《だれ》だおくまか、どこへ行《い》つたんだ。女「ちよつと徳利《とくり》を取《と》つておくれ雪沓《かんじき》を踏《ふ》み込《こ》んで……紐《ひも》が切れたんだよ。伝「いろんな事を云《い》つてやアがる、待《ま》て/\、ウームアヽ痛いウム、オイお熊《くま》躯中《からだぢゆう》しびれて……こつちへ入《はい》つて背中《せなか》を二ツ三ツ叩《たゝ》いてくれ。女「何《ど》うしたんだな、しやうがねえな、方々《はう/″\》へ行《い》つて酒《さけ》を飲《の》むからそんなことになるんだな。伝「飲《のみ》やアしねえ、今日《けふ》は治衛門《ぢゑもん》さんのところへ行《い》つても酒《さけ》は飲《の》まなかつた、家《うち》に買つてあるのを知つてゐるから。女「それでも酒《さけ》くさいよ。伝「燗鍋《かんなべ》に玉子酒《たまござけ》があつたからそれを飲《の》んだ。女「エツ、玉子酒《たまござけ》を飲《の》んだの……しやうがねえな、これはいけねえんだよ、お前《まへ》が拵《こし》らへた痳痺薬《しびれぐすり》が入《はい》つてゐるんだよ。伝「ウム、おくまてめえは己《おれ》を殺す了簡《れうけん》か。熊「何《なに》を云《い》ふんだな、さつき身延山《みのぶさん》へお参《まゐ》りに来《き》た人が道に迷つて此処《こゝ》に来《き》たが、それは吉原《よしはら》にゐた時に出た客なんだよ、三|両《りやう》包《つゝ》んで出したが跡《あと》に切餅《きりもち》(二十五|両《りやう》包《づゝみ》)二|俵《へう》位《ぐらゐ》はある様子《やうす》、それで玉子酒《たまござけ》に仕掛《しかけ》をして飲《の》ましたが、その残《のこり》をお前《まへ》が飲《の》んだのさ。これを次《つぎ》の間《ま》で聞いた客は驚《おどろ》いて逃
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