《てめえ》が出て挨拶をしろ、己《おれ》は真平《まっぴら》だ、戸棚に入《へい》って隠れていらア」
みね「そんなら本当かえ」
伴「本当も嘘もあるものか、だから手前《てめえ》が出なよ」
みね「だッて帰る時には駒下駄の音がしたじゃアないか」
伴「そうだが、大層綺麗な女で、綺麗程|尚《なお》怖いもんだ、明日《あした》の晩|己《おれ》と一緒に出な」
みね「ほんとうなら大変だ、私《わたし》ゃいやだよう」
伴「そのお嬢様が振袖《ふりそで》を着て髪を島田に結上《ゆいあ》げ、極《ごく》人柄のいゝ女中が丁寧《ていねい》に、己《おれ》のような者に両手をついて、痩《やせ》ッこけた何《なん》だか淋しい顔で、伴藏さんあなた……」
みね「あゝ怖い」
伴「あゝ恟《びっく》りした、おれは手前《てめえ》の声で驚いた」
みね「伴藏さん、ちょいといやだよう、それじゃア斯《こ》うしておやりな、私達が萩原様のお蔭《かげ》で何《ど》うやらこうやら口を糊《すご》して居るのだから、明日《あした》の晩幽霊が来たらば、おまえが一生懸命になって斯うおいいな、まことに御尤《ごもっと》もではございますが、あなたは萩原様にお恨《うらみ》がございましょうとも、私共《わたくしども》夫婦は萩原様のお蔭で斯うやっているので、萩原様に万一《もしも》の事がありましては私共夫婦の暮し方が立ちませんから、どうか暮し方の付くようにお金を百両持って来て下さいまし、そうすれば屹度《きっと》剥《はが》しましょうとお云いよ、怖いだろうがお前は酒を飲めば気丈夫になるというから、私《わたし》が夜延《よなべ》をしてお酒を五合ばかり買っておくから、酔った紛《まぎ》れにそう云ったら何《ど》うだろう」
伴「馬鹿云え、幽霊に金があるものか」
みね「だからいゝやね、金をよこさなければお札を剥さないやね、それで金もよこさないでお札を剥さなけりゃア取殺《とりころ》すというような訳の分らない幽霊は無いよ、それにお前には恨《うらみ》のある訳でもなしさ、斯《こ》ういえば義理があるから心配はない、もしお金を持って来れば剥してやってもいゝじゃアないか」
伴「成程、あの位訳のわかる幽霊だから、そう云ったら得心して帰《けえ》るかも知れねえ、殊《こと》によると百両持って来るものだよ」
みね「持って来たらお札を剥しておやりな、お前考えて御覧、百両あればお前と私は一生困りゃアしないよ」
伴「成程、こいつは旨《うめ》え、屹度《きっと》持って来るよ、こいつは一番やッつけよう」
と慾というものは怖《おそろ》しいもので、明《あく》る日は日の暮れるのを待っていました。そうこうする内に日も暮れましたれば、女房は私《わたし》ゃ見ないよと云いながら戸棚へ入るという騒ぎで、彼是しているうち夜《よ》も段々と更《ふ》けわたり、もう八ツになると思うから、伴藏は茶碗酒でぐい/\引っかけ、酔った紛《まぎ》れで掛合う積りでいると、其の内八ツの鐘がボーンと不忍《しのばず》の池《いけ》に響いて聞えるに、女房は熱いのに戸棚へ入り、襤褸《ぼろ》を被《かぶ》って小さく成っている。伴藏は蚊帳の中《うち》にしゃに構えて待っているうち、清水のもとからカランコロン/\と駒下駄の音高く、常に変らず牡丹の花の灯籠を提《さ》げて、朦朧《もうろう》として生垣《いけがき》の外まで来たなと思うと、伴藏はぞっと肩から水をかけられる程|怖気立《こわけだ》ち、三合呑んだ酒もむだになってしまい、ぶる/\慄《ふる》えながらいると、蚊帳の側へ来て、伴藏さん/\というから、
伴「へい/\お出《い》でなさいまし」
女「毎晩参りまして、御迷惑の事をお願い申して誠に恐れ入りますが、未《ま》だ今夜も御札が剥がれて居りませんので這入《はい》る事が出来ず、お嬢様がお憤《むず》かり遊ばし、私《わたくし》が誠に困りますから、どうぞ二人のものを不便《ふびん》と思召《おぼしめ》してあのお札を剥して下さいまし」
伴藏はガタ/\慄《ふる》えながら、
伴「御尤《ごもっとも》さまでございますけれども、私共《わたくしども》夫婦の者は、萩原様のお蔭様で漸《ようや》く其の日を送っている者でございますから、萩原様のお体《からだ》にもしもの事がございましては、私共夫婦のものが後《あと》で暮し方に困りますから、どうぞ後で暮しに困らないように百両の金を持って来て下さいましたらば直《すぐ》に剥しましょう」
と云うたびに冷たい汗を流し、やっとの思いで云いきりますと、両人は顔を見合せて、暫《しばら》く首を垂れて考えて居ましたが。
米「お嬢様、それ御覧《ごろう》じませ、此のお方にお恨《うらみ》はないのに御迷惑をかけて済まないではありませんか、萩原様はお心変りが遊ばしたのだから、貴方《あなた》がお慕《した》いなさるのはお冗《むだ》でございます、何《ど》うぞふッつりお諦《あ
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