ち》を切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り、相川は重箱を提《さ》げて、孝助殿気を付けて行《ゆ》けと云いながら参りますると、向うより薄《すゝき》だゝみを押分けて、血刀《ちがたな》を提げ飛出して、物をも云わず孝助に斬り掛けました。此の者は栗橋無宿の伴藏にて、栗橋の世帯《しょたい》を代物付《しろものつき》にて売払い、多分の金子《かね》をもって山本志丈と二人にて江戸へ立退《たちの》き、神田佐久間町《かんださくまちょう》の医師|何某《なにがし》は志丈の懇意ですから、二人はこゝに身を寄せて二三日逗留し、八月三日の夜《よ》二人は更《ふ》けるを待ちまして忍び来《きた》り、根津の清水に埋《うず》めて置いた金無垢の海音如来の尊像《そんぞう》を掘出し、伴藏は手早く懐中へ入れましたが、伴藏の思うには、我が悪事を知ったは志丈ばかり、此の儘《まゝ》に生《い》け置かば後《のち》の恐れと、伴藏は差したる刀抜くより早く飛びかゝって、出し抜けに力に任して志丈に斬り付けますれば、アッと倒れる所を乗《の》し掛り、一刀|逆手《さかて》に持直し、肋《あばら》へ突込《つきこ》みこじり廻せば、山本志丈は其の儘にウンと云って身を顫《ふる》わせて、忽《たちま》ち息は絶えましたが、此の志丈も伴藏に与《くみ》し、悪事をした天罰のがれ難く斯《かゝ》る非業を遂げました、死骸を見て伴藏は後《あと》へさがり、逃げ出さんとする所、御用と声掛け、八方より取巻かれたに、伴藏も慌《あわ》てふためき必死となり、捕方《とりかた》へ手向いなし、死物狂いに斬り廻り、漸《ようや》く一方を切抜けて薄《すゝき》だゝみへ飛込んで、往来の広い所へ飛出す出合がしら、伴藏は眼も眩《くら》み、是《こ》れも同じ捕方と思いましたゆえ、ふいに孝助に斬掛けましたが、大概の者なれば真二《まっぷた》つにもなるべき所なれども、流石《さすが》は飯島平左衞門の仕込で真影流に達した腕前、殊《こと》に用意をした事ゆえ、それと見るより孝助は一|歩《あし》退《しりぞ》きしが、抜合《ぬきあわ》す間もなき事ゆえ、刀の鍔元《つばもと》にてパチリと受流し、身を引く途端に伴藏がズルリと前へのめる所を、腕を取って逆に捻倒《ねじたお》し。
孝「やい/\曲者《くせもの》何《なん》と致す」
曲「へい真平御免《まっぴらごめん》下さえまし」
相「そら出たかえ、孝助怪我は無いか」
孝「へい怪我はござ
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