《くれ》ろと申《まう》すことで。「成程《なるほど》、夫《それ》は何《ど》うも御奇特《ごきどく》な事で、お前《まい》が葬式《とむらひ》を出して呉《く》れゝば誠に有難《ありがた》いね、ぢやア何分《なにぶん》お頼《たの》ウ申《まうし》ますよ、今に私《わたし》も行《ゆ》きますが、早桶《はやをけ》や何《なに》かの手当《てあて》は。金「ナニ宜《よろ》しうございます、湯灌《ゆくわん》や何《なに》かもザツと致《いた》しまして、早桶《はやをけ》と云《い》つては高いものですし何《ど》うせ焼《や》いて了《しま》ふもんですから沢庵樽《たくあんだる》か菜漬樽《なづけだる》にでも入《い》れませう。「夫《それ》が宜《よ》からう、ソコでお前《まへ》さんは施主《せしゆ》の事《こと》だから袴《はかま》でも着《つ》けるかい。金「ナニ夜分《よる》の事《こと》でげすから襦袢《じゆばん》をひつくり返して穿《は》きます。「デモ編笠《あみがさ》は被《かぶ》らなければなるまい。金「ナニ三俵《さんだら》ポツチでも被《かぶ》つて摺小木《すりこぎ》でも差《さ》して往《ゆ》きませう。「可笑《をか》しいな、狐《きつね》にでも化《ばか》されたやうで。金「ナニ構《かま》やアしませぬ。「ぢやア何分《なにぶん》頼《たの》むよ。金「へい宜《よろ》しうがす。「お寺《てら》は何所《どこ》だい。金「エヽ麻布《あざぶ》の三軒家《さんげんや》なんで。「何《ど》うも大変《たいへん》に遠いね、まア宜《よ》い、ぢやア其積《そのつもり》で。金「へい畏《かしこま》りました。是《これ》から宅《たく》へ帰《かへ》つて支度《したく》をして居《ゐ》る中《うち》に長家《ながや》の者も追々《おひ/\》悔《くや》みに来《く》る、差配人《さはいにん》は葬式《さうしき》の施主《せしゆ》が出来《でき》たので大《おほ》きに喜び提灯《ちやうちん》を点《つ》けてやつて参《まゐ》り「金兵衛《きんべゑ》さん色々《いろ/\》お骨折《ほねをり》、誠に御苦労様《ごくらうさま》。金「何《ど》ういたしまして、何《ど》うも遠方《ゑんぱう》の処《ところ》を恐入《おそれいり》ます、何《いづ》れも稼業人《かげふにん》ばかりですから成《なる》たけ早く致《いた》して了《しま》ひたいと存《ぞん》じます。「其方《そのはう》が宜《い》い、机や何《なに》か立派《りつぱ》に出来《でき》たね。金「ナニ板の古いのがありましたからチヨイと足を打附《うちつ》けて置いたので。「成程《なるほど》、早桶《はやをけ》は大分《だいぶ》宜《い》いのがあつたね。金「ナニ是《これ》は沢庵樽《たくあんだる》で。「おや、山に十の字の焼印《やきいん》があるね、是《これ》は己《おれ》ン所《とこ》の沢庵樽《たくあんだる》ぢやアないか。金「何《なん》だか知れませぬが井戸端《ゐどばた》に水が盛《は》つてあつたのを覆《こぼ》して持《もつ》て来《き》ましたが、ナニ直《ぢき》に明けてお返し申《まうし》ます。「明けて返したつて仕《し》やうがない、冗談《じようだん》云《い》つちやアいけない、ぢやアそろ/\出かけよう。是《これ》から長家《ながや》の者が五六人|付《つ》いて出かけましたが、お寺は貧窮山難渋寺《ひんきゆうさんなんじふじ》と云《い》ふので、本堂《ほんだう》には鴻雁寺《こうがんじ》が二|挺《てう》点《とも》つて居《ゐ》る。金「皆《みな》さん嘸《さぞ》お疲労《くたびれ》でございませう、大《おほ》きに有難《ありがた》う存《ぞん》じました。甲「何《ど》うも可哀《かあい》さうな事をしましたな、私《わたし》も長らく一緒《しよ》に居《を》つたが喰《く》ふ物も喰《く》はずに修業《しゆげふ》して歩き、金子《かね》を蓄《ため》た人ですから少しは貯金《こゝろがけ》がありましたらう。金「いえ何《なに》もありませぬよ、何卒《どうぞ》皆《みな》さん此方《こちら》へお出《いで》なすつてナニ本堂《ほんだう》で莨《たばこ》を喫《の》んだつて構《かま》やアしませぬ。其中《そのうち》に和尚《をしやう》が出て来《く》る。和「ハイ何《ど》うも御愁傷《ごしうしやう》な事で。金「何卒《どうぞ》一ツ何《なん》とでも戒名《かいめう》をお附《つけ》なすつて。此仏《このほとけ》は是々《これ/\》で餅《もち》と金《かね》を一緒に食《く》つて死んだのでげすから、とも申《まう》されませんが、戒名《かいみやう》を見ると「安妄養空信士《あんもうやうくうしんじ》」と致《いた》して置かれたのには金兵衛《きんべゑ》が驚《おどろ》きました。金「成程《なるほど》、是《これ》は面白《おもしろ》うがすな。和「夫《それ》では引導《いんだう》を渡《わた》して上《あ》げよう。グワン/\と鉦《かね》を打鳴《うちなら》し、和「南無喝※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]怛那《なむからたんの》、※[#「口+多」、第3水準1−15−2]羅夜耶《とらやや》、南無阿※[#「口+利」、第3水準1−15−4]耶《なむおりや》、婆慮羯諦爍鉢羅耶《ばりよぎやていしふふらや》、菩提薩※[#「足へん+多」、359−2]婆耶《ふちさとばや》。と神咒《しんじゆ》を唱《とな》へ往生集《わうじやうしふ》を朗読《らうどく》して後《のち》に引導《いんどう》を渡《わた》し、焼香《せうかう》も済《す》んで了《しま》ふと。金「何《ど》うも皆《みな》さん遠方《ゑんぽう》の処《ところ》誠に有難《ありがた》う存《ぞん》じました、本来《ほんらい》ならば強飯《おこは》かお酢《すし》でも上《あ》げなければならないんですが、御承知《ごしようち》の通《とほ》りの貧乏葬式《びんばふどむらひ》でげすから、恐入《おそれいり》ましたが何《なに》も差上《さしあ》げませぬ、尤《もつと》も外へ出ますと夜鷹蕎麦《よたかそば》でも何《なん》でもありますから貴所方《あなたがた》のお銭《あし》で御勝手《ごかつて》に召上《めしあが》りまして。甲「何《なん》だ人面白《ひとおもしろ》くもねえ、先《さき》へ出よう/\。「金兵衛《きんべゑ》どんお前《まい》是《これ》から焼場《やきば》へ持《も》つて行《ゆ》くのに独《ひとり》ぢやア困るだらうから己《おれ》が片棒《かたぼう》担《かつ》いでやらうか。金「ナニ宜《よろ》しうがす、私《わたし》が独《ひとり》で脊負《しよつ》て行《ゆ》きます、成《なる》たけ入費《もの》の係《かゝ》らぬ方《はう》が宜《よろ》しうがすから。「宜《い》いかえ。金「エヽ宜《よ》うがすとも。と早桶《はやをけ》を脊負《しよ》ひ焼場鑑札《やきばかんさつ》を貰《もら》つてドン/\焼場《やきば》へ来《き》まして。金「お頼《たの》う申《まう》します。坊「ドーレ。金「何卒《どうぞ》これを。坊「ア、成程《なるほど》、難渋寺《なんじふじ》かへ、宜《よろ》しい、此方《こちら》へ。金「それで此《この》並焼《なみやき》はお幾《いく》らでげす。坊「並焼《なみやき》は一|歩《ぶ》と二百だね。金「ヘヽー何《ど》うでげせう、三|朱《しゆ》位《ぐらゐ》には負《まか》りますまいか。坊「焼場《やきば》へ来《き》て値切《ねぎ》るものもないもんだ、極《きま》つて居《ゐ》るよ。金「ナニ本当《ほんたう》に焼《や》けないでも宜《よろ》しいんで。坊「然《さ》うはいかない、一体《いつたい》に火が掛《かゝ》るんだから。金「頭と足の方《ほう》はホンガリ焼《や》いて腹《はら》は生焼《なまやき》にはなりますまいか。坊「然《さ》うはいきませぬよ、元膩《もとあぶら》だから一体《いつたい》に火が掛《かゝ》るでな。金「ぢやア明朝《みやうあさ》早く骨揚《こつあげ》に来《き》ますから、死骸《しがい》を間違《まちが》ひないやうに願ひます。坊「其様《そん》な事はありやせぬ。金「何分《なにぶん》お頼《たの》み申《まう》します。と宅《たく》へ帰《かへ》つたがまだ暗い中《うち》にやつて来《き》ました。金「お早う。坊「えらう早く来《き》たな、まだ薄暗《うすぐら》いのに。金「エヘヽヽ昨晩《さくばん》は大《おほき》にお喧《やか》ましうございます。坊「ウム値切《ねぎつ》た人か、サ此方《こつち》へ這入《はい》んなさい。金「へい、有難《ありがた》う。坊「穏坊《をんばう》/\、見て上《あ》げろ。穏「はい此方《こつち》へお出《いで》なさい、骨《こつ》を入《い》れる物を持《もつ》てお出《いで》なすつたか。金「イエ、何《なに》か買《か》はうと思《おも》つたが大分《だいぶ》高《たけ》えやうですから、彼所《あすこ》に二|升《しよう》壜《どつこり》の口の欠《かけ》たのがあつたから彼《あれ》を持《もつ》て来《き》ました。穏「彼《あれ》は私《わし》が水を入《い》れて置いたのだ、無闇《むやみ》に口《くち》なんぞを打欠《ぶつか》いちやアいけませぬよ。金「エヘ、御免《ごめん》なさい、兎《と》に角《かく》頂戴《ちやうだい》しませう、一|体《たい》に黒《くろ》くなりやしたな、何《ど》うも、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》々々《/\》々々《/\》々々《/\》、成程《なるほど》此木《このき》の箸《はし》と竹《たけ》の箸《はし》で斯《か》うするんですな、お前《まい》さん彼方《あつち》へ行《い》つてゝお呉《く》んなさい。穏「私《わし》が見て居《ゐ》ねえでは歯骨《はつこつ》や何《なに》か分《わか》るまい。金「ナニ知つてるよ、ちやんと心得《こゝろえ》てるんだ、彼方《あつち》へ行《ゆ》け、行《ゆ》かねえと撲《なぐ》り附《つ》けるぞ、行《い》かねえか畜生《ちくしやう》。箸《はし》で段々《だん/″\》灰《はい》を掻《か》いて行《ゆ》くと腹《はら》の辺《あたり》に塊《かたまり》があつたから木と竹の箸《はし》でヅンと突割《つきわ》ると中《なか》から色も変《かは》らず山吹色《やまぶきいろ》の古金《こきん》が出るから、慌《あは》てゝ両方《りやうはう》の袂《たもと》へ入《い》れながら。金「穏坊《をんばう》の畜生《ちくしやう》、此方《こつち》へ這入《はいつ》て来《き》やアがると肯《きか》ねえぞ、無闇《むやみ》に這入《へいり》やアがるとオンボウ焼《や》いて押付《おつつ》けるぞ。と悪体《あくたい》をつきながら穏坊《をんばう》の袖《そで》の下《した》を掻潜《かいくゞ》つてスーツと駈出《かけだ》して行《ゆ》きました。穏「アレ、乱暴狼藉《らんぼうらうぜき》な奴《やつ》もあればあるものだ、アレ逃《に》げてツちまつた。金兵衛《きんべゑ》さんは此金子《このかね》を以《もつ》て、芝《しば》金杉橋《かなすぎばし》の本《もと》へ、黄金餅《こがねもち》と云《い》ふ餅屋《もちや》を出したのが、大層《たいそう》繁昌《はんじやう》いたした。と云《い》ふ一|席話《せきばなし》でござります。
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年8月14日作成
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