つた》へて、今日《こんにち》お墓参《はかまゐ》りにまゐりました、これはほんの心ばかりでございますが、どうか先代多助《せんだいたすけ》の御囘向《ごゑかう》を願ひたいものでございます」と云《い》つて金《かね》を一|円《ゑん》包《つゝ》んで出すと、奥《おく》から和尚様《をしやうさま》が出て来《き》まして、「あなたが塩原多助《しほばらたすけ》の御縁類《ごえんるゐ》の方《かた》でございますか、愚僧《ぐそう》が当住《たうぢう》で……只今《たゞいま》御囘向《ごゑかう》を……」「いえ、今日《こんにち》は拠《よんどころ》ないことで急ぎますから、御囘向《ごゑかう》は後《あと》でなすつて下さい……塔婆《たふば》をお立てなすつて、どうぞ御囘向《ごゑかう》を願ひます」「畏《かしこま》りました」と茶を入れて金米糖《こんぺいたう》か何《なに》かを出します。すると和尚《をしやう》さんの手許《てもと》に長谷川町《はせがはちやう》の待合《まちあひ》の梅廼屋《うめのや》の団扇《うちは》が二|本《ほん》有《あ》りますから、はてな此寺《このてら》に梅廼屋《うめのや》の団扇《うちは》のあるのは何《ど》ういふ訳《わけ》か、殊《こと》に塩原《しほばら》の墓《はか》にも梅廼屋《うめのや》の塔婆《たふば》が立つて居《を》りましたから、何《なに》か訳《わけ》のあることゝ思つて、「和尚《をしやう》さん、こゝにある団扇《うちは》は長川谷町《はせがはちやう》の待合《まちあひ》の梅廼屋《うめのや》の団扇《うちは》ですか」「左様《さやう》です」「梅廼屋《うめのや》は此方《こちら》の檀家《だんか》でございますか」「いえ檀家《だんか》といふ訳《わけ》ではありませぬが、長《なが》い間《あひだ》塩原《しほばら》の附届《つけとゞけ》をしてゐる人は梅廼屋《うめのや》ほかありませぬ、それで此《こ》の団扇《うちは》があるのです」「それは何《ど》ういふ訳《わけ》です」と聞くと、梅廼屋《うめのや》は五|代目《だいめ》の塩原多助《しほばらたすけ》の女房《にようばう》で、それが亭主《ていしゆ》が亡《なくな》つてから、長谷川町《はせがはちやう》へ梅廼屋《うめのや》といふ待合《まちあひ》を出したのです」「へえーさうでございますか」それぢやア梅廼屋《うめのや》のお母《ふくろ》に聞けば塩原《しほばら》の事は委《くは》しく分《わか》る。梅廼屋《うめのや》に聞くのは造作《ざうさ》もない事だ。といふのは梅廼屋《うめのや》は落語社会《らくごしやくわい》の寄合茶屋《よりあひぢやや》でございますから……「有難《ありがた》うございます、どうか御囘向《ごゑかう》を願ひます、又《また》参詣《おまゐり》を致《いた》します」と云《い》つて、それから直《すぐ》に浜町《はまちやう》一|丁目《ちやうめ》の花屋敷《はなやしき》の相鉄《あひてつ》といふ料理屋《ちやや》へ行《い》つて、お膳《ぜん》を誂《あつら》へ、家《うち》の車をやつて、此《こ》の車で直《すぐ》に来《き》てくれと云《い》つて梅廼屋《うめのや》を迎《むか》へにやりました。
 梅廼屋《うめのや》は前にも申《まう》しました通《とほ》り、落語家《らくごか》一|統《とう》の寄合茶屋《よりあひぢやや》で、殊《こと》に当時《たうじ》私《わたくし》は落語家《らくごか》の頭取《とうどり》をして居《を》りましたから、為《ため》になるお客と思ひもしまいが、早速《さつそく》其車《そのくるま》で来《き》てくれました。「何《ど》うしたんです、何《なに》か急《きふ》の御用《ごよう》ですか」「いや、改《あらた》まつてお聞き申《まう》したいのだが、お前《まへ》は塩原《しほばら》といふ炭問屋《すみどんや》へ嫁《よめ》になつた事が有《あ》るさうだ」「いゝえ、炭問屋《すみどんや》は疾《と》うに潰《つぶ》れて、お厩橋《うまやばし》へ来《き》た時|私《わたくし》が縁付《えんづ》いたのです」「お前《まへ》の御亭主《ごていしゆ》は」「秀《ひで》三|郎《らう》と云《い》つて五代目でございます」「早く死んだのかえ」「へえ、少し気《き》が違《ちが》つて早く死にました」と云《い》ふから、成程《なるほど》是真翁《ぜしんをう》の話の通《とほ》り祟《たゝ》つたのだなと思ひ当《あた》りました。「お前《まへ》さんの所に何《なに》か書物《かきもの》はありませぬかえ――御先祖《ごせんぞ》塩原多助《しほばらたすけ》の書類《しよるゐ》か何《なに》か残《のこ》つてゐませぬか」「何《なに》も有《あ》りませぬ、少しは残《のこ》つてゐた物も有《あ》りましたが、此前《このまへ》の火事で焼《や》けましたから、書付類《かきつけるゐ》はありませぬが、御先祖様《ごせんぞさま》の着た黒羽二重《くろはぶたへ》に大きな轡《くつわ》の紋《もん》の附《つ》いた着物が一枚あります。それは二
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