《なくな》つて後《のち》は音沙汰《おとさた》はありませぬ、もしお逢《あ》ひになつたら、どうか宜《よろ》しく・……」「何《なん》といふ名前です」「お師匠《ししやう》さん、私《わたし》は年を老《と》つて物おぼえが悪くなつて、よく覚《おぼ》えて居《を》りませぬが、何《なん》でも多《た》の字《じ》の付《つ》く名前でしたが、忘れました」「分《わか》りませぬか」「分《わか》りませぬ」どうも村名《ところ》も分《わか》らず、名前も分《わか》らず、殆《ほとん》ど困りましたけれども、細《こま》かに尋《たづ》ねたら知れぬ事もあるまいと、是《これ》から宅《たく》へ帰《かへ》つて、直《すぐ》に旅立《たびだち》の支度《したく》を始めたから、宅《うち》の者は驚《おどろ》いて、何処《どこ》へ行《ゆ》くといふ。少し理由《わけ》があつて旅をすると云《い》ふと、弟子《でし》や何《なに》かが一|緒《しよ》に行《ゆ》きたがるが、弟子《でし》では少し都合《つがふ》の悪いことがある。宅《たく》に酒井伝吉《さかゐでんきち》といふ車を曳《ひ》く男《をとこ》がある、此男《このをとこ》は力が九|人力《にんりき》ある、なぜ九|人力《にんりき》あるかといふと、大根河岸《だいこんがし》の親類《しんるゐ》の三周《さんしう》へ火事の手伝《てつだ》ひにやつたところが、一人で畳《たゝみ》を一度に九枚|持出《もちだ》したから、九|人力《にんりき》あると私《わたし》が考へた。其《そ》の伝吉《でんきち》を呼《よ》んで、「時に私《わたし》は今度《こんど》下野《しもつけ》から上州《じやうしう》の方《はう》へ行《ゆ》くに就《つい》て、お前《まへ》を供《とも》に連《つ》れて行《ゆ》かうと思ふが、面白《おもしろ》くも何《なん》ともない、ひどい山の中へ行《ゆ》くんだが、行《ゆ》くかえ」「それは有難《ありがた》い、――どんな山の中でも行《ゆ》きます、私《わたし》の生国《しやうこく》は越中《ゑつちう》の富山《とやま》で、反魂丹売《はんごんたんうり》ですから、荷物《にもつ》を脊負《せお》つて、まだ薬《くすり》の広《ひろ》まらない山の中ばかり売《う》つて歩くのです、さうして又《また》翌年《よくねん》其《そ》の山の中を売《う》つて歩くので、山の中は歩きつけて居《を》ります、又《また》私《わたし》は力がありますから、途中《とちう》で追剥《おひはぎ》が五人や六人出
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