しなければならぬと云《い》ふことを云《い》ひ聞かして帰《かへ》されたから、途方《とはう》にくれて其《そ》の嫁《よめ》が塩原《しほばら》の内井戸《うちゐど》へ飛込《とびこ》んで幽霊《いうれい》に出るといふのが潰《つぶ》れ初《はじ》めで、あの大きな家《うち》が潰《つぶ》れてしまつたが、何《なん》とこれは面白《おもしろ》い怪談《くわいだん》だらう」といふ話を聞いて、成程《なるほど》これは面白《おもしろ》い話だ、これを種子《たね》にして面白《おもしろ》い話をこしらへたいと思つたが、其《そ》の塩原多助《しほばらたすけ》といふ者が本所相生町《ほんじよあひおひちやう》に居《ゐ》たか居《ゐ》ないか、名《な》さへ始めて聞いた位《くらゐ》だから分《わか》らない。兎《と》に角《かく》本所《ほんじよ》へ行《い》つて探して見ようと思つて、是真翁《ぜしんをう》の家《いへ》を暇乞《いとまごひ》して是《これ》から直《す》ぐに本所《ほんじよ》へ行《ゆ》きました。
さて是真翁《ぜしんをう》の宅《たく》を暇乞《いとまごひ》して、直《すぐ》に本所《ほんじよ》へ行《い》つて、少し懇意《こんい》の人があつたから段々《だん/\》聞いて見ると、二《ふた》つ目《め》の橋の側《そば》に金物屋《かなものや》さんが有《あ》るから、そこへ行《い》つて聞いたら分《わか》るだらうと云《い》ふ。それから其《そ》の金物屋《かなものや》さんで、名前は云《い》へないが、是々《これ/\》の炭屋《すみや》が有《あ》りましたかと聞くと、成程《なるほど》塩原多助《しほばらたすけ》といふ炭屋《すみや》があつたさうだが、それは余程《よほど》古いことだといふ。それでは塩原《しほばら》のことを委《くは》しく知つてゐる人がありませうかと云《い》つて聞いたところが、無《な》いといふ。何処《どこ》を捜《さが》しても分《わか》らない。其時《そのとき》六十九になる、仕事師《しごとし》の頭《かしら》といふほどではないが、世話番《せわばん》ぐらゐの人に聞くと、私《わたし》は塩原《しほばら》の家《いへ》へ出入《でいり》をしてゐたが、細《こま》かいことは知りませぬといふ。それでは塩原《しほばら》の寺《てら》は何処《どこ》でせうと聞いたところが、浅草《あさくさ》の森下《もりした》の――たしか東陽寺《とうやうじ》といふ禅宗寺《ぜんしうでら》だといふことでございますといふ
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