校の建物にぶつかつたり、やう/\一人の百姓に会つて、あれがさうだと茅葺屋根の家を教へられて麦畑の中を行つて見ると違つた人の名札であり、それから諦めて引返しかけると、他所行きの身装をした百姓の内儀さんらしい女に会つて、東京の人の別荘ならもつと先だと教へられ、今度こそはと松林の中など通つて行つて見ると、新らしい建物の玄関が締つてゐて門内には下駄の跡もないので、それでは東京へ引揚げてゐるのだらうと引返しかけたが念の為めに門前の百姓家に声をかけて訊いて見ると、さつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて沼の畔に出るのだと教へられた。
「Sさんは此頃お見えになつてるやうですか?」と、私はその爺さんに訊いた。
「二三日前にお見かけしましたが、多分居りますでせう」
もうすつかり暮色が立こめてゐた。私はまた引返して麦畑の中を通つてさつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて行つたが、かなりの大きさらしい沼を前にして、一軒の百姓家に並んでS氏の質素な建物の別荘があつた。斯うしてやう/\のことで尋ね当てたが、勇気が挫けて、しばらく玄関の外に立つてゐたが、思ひ切つて声をかけた。すると年増の女中らしい人が出て来て、
「東京へ行つてゝお留守ですが、明日は帰る筈です」と云つた。
「さうですか。では失礼しました。……私はKと云ふ者ですが」
「Kさん……?」
「さうです。実は初めてあがつた者ですが、……失礼しました」
私は斯う云つて、名刺も置かず逃げるやうにあわてゝ引返して、ホツと太息を吐いた。留守でよかつたと思つた。斯うした行動が耻ぢられた。が思ひ立つたことは兎に角一度はぶつかつて見なければ気の済まない、抑制を知らない自分の性質を知つてゐる私は、これも仕方がない、これで遺憾なく失敗して東京へ帰れるのだと思ふと、心が慰められる気がした。そして駈けるやうに暗いぬかるみの路を急いだが、やつぱし最初に見たペンキ塗りの家の方へ出て来た。ぐる/\と円を描くやうにして、狐につまゝれた人間のやうにそこら中を歩るいてゐた訳である。
弟のところに着いたのは九時過ぎであつた。彼は遅く帰つて来て今ご飯を済ましたばかりだと云つて、疲れた顔をしてゐた。
「いや、とんだ目に会つて来た」と、私は無頓着な調子で云つたが、心から弟夫婦に申訳ない気がした。
最初の電報は何枚かの附箋がついて夜遅く配達になつてゐた。弟はその翌日の昼頃電報為替を出したので、無論遅くもその日の中には配達になるものと思つて、別に私の方へは電報も打たなかつたのであつた。それがその翌日の昼頃私の手に入つたのであつた。
「何しろ失敗だつた」と、私達はそれから酒を飲み出したが、私は斯う繰返すほかなかつた。
「こつちではまさかそんなことになつてることゝは思はないし、多分どこかへ飲みにでも行つて、その金まで内田さんに立替へて貰ふ訳に行かなくて電報でも打つたんだらう位ゐに思つてゐたので、大したことに考へてゐなかつたのですよ。それに、やつぱし内田さんにしてもまるつきり商売が違ふんだから、それだけの理解もつかない訳で、どん/\勘定が登つてはと心配し出したのも無理もないでせうよ」
「いや何しろ大失敗だつた。やつぱし鎌倉を出て来ない方がよかつたかな。それが、今度こそは屹度書けると思つたものだからな、実際金の問題ばかしでなく、あの原稿が気になつて仕様がないもんだからね、ほんとに癪に障るから明日にでも本屋に交渉して金が出来たら、またどこかへ出かけようとも思つてゐる」
「もう止した方がいゝでせうよ。金が出来たらばやつぱしお寺へ帰る方がいゝと思ふがなあ、Fちやんもどんなに心配してるか」
「ほんとにねえ、Fちやんが気の毒ですわ」と、気の弱い細君は眼をうるませて云つた。
「Fには会ひたい。もう小遣ひも無くなつてるだらう」と、私にもFのことばかしは気がゝりであつた。
六
二三日経つて、私は鎌倉八幡前の宿屋から使ひをやつて、Fを呼んだ。仕出し屋の娘も一緒に来たので三人で晩飯を喰べた。日が暮れるとFだけさきに帰つて行つた。「お前も一緒に帰つて呉れよ」と云つたが娘は聴かなかつた。
「Fさんあなたそれではさきに帰つてゝ下さいね。わたしどうしてもお父さんを伴れて帰りますからね。それでないとわたしうちへ帰つて叱られるんですもの」娘はFを送り出しながら斯う云つた。
「そんなこと云つたつて駄目だよ。金どころかこの通り外套も時計も取られて来た始末で、兎に角もう一度方面を変へて出かけて来る。そして今度こそは屹度一週間位ゐで書きあげて金を持つて帰つて来るから、うちへ帰つてさう云つて呉れ」
「困るわ、そんなことでは。うちではたいへん怒つてるんだから。Fさん一人置いといてもう二十日にもなるのに何のたよりも無いつて、今日もポン/\怒つてゐたところなんだから、どうしてもあなたに来ていたゞいて極りをつけて貰ひたいと云つてよこしたんですから、わたし一人では帰らりやしないわ」と娘は泣き出しさうな顔して云つた。
「だからさ、頼む。金が無いんだからね、寺へ帰つたつてまた毎日のやうに怒つて来られたんでは仕事は出来ないし、結局また飛び出さなければならないことになるだらう。さうなると益々困るばかしだ。お前のとこだつてそれだけ迷惑が大きくなる訳だからね。それにどうしてもこの原稿だけは今度片附けて了ひたい。これさへ片附けると、どんな方法でも講じて金を拵へて帰るからね、もう一度一週間か十日ばかしの間我慢して呉れつて、お前が帰つてさう云つて頼んで呉れよ。ね、いゝだらう?」私は斯う繰返したが、娘は承知しなかつた。
「そんならいゝわ、わたしどこまでもついて行くから。そしてお金の出来る間待つてゐるから」と、娘は私が相当に金の用意がしてあると思つたらしく、離れた小さな眼に剛情な色を見せて云ひ出した。
「そんならさうしなさい。しかし僕はこれから御殿場の方へ行くつもりなんだぜ。それでもいゝかね?」
「よござんすわ。うちでもさう云つてよこしたんですから、構はないわ」
その晩は泊つて明朝発つつもりだつたのだが、相手になつてるのがうるさくなつて、私はかなり酔つてもゐて大儀だつたが、宿の勘定を済まして外へ出た。斯うは云ひ張るものゝまさか娘は汽車までついて来るやうなこともあるまいと私はたかをくゝつて歩るきながら冗談など云ひかけたが、娘の様子が真気らしくもあるので、私は少し怖くなりかけた。東京行きの汽車が間もなくやつて来た。汽車の音を聞きながら、
「ほんとに行く気なんか?」と、私は念を押さずにゐられなかつた。
「ほんとですとも。あなたが帰つて下さらないんですもの……」と、娘は泣き出しさうな顔しながらも、思ひ詰めた眼付を見せて云つた。
「ぢやあ二枚買ふよ」
「いゝわ、汽車賃位ゐはわたしのとこにもありますから」
私はまたも狐につまゝれたやうな気持で、一枚を娘に渡して改札口を出て汽車に乗り、向ひ合つて腰掛に座つた。娘は紡績に汚れた銘仙の羽織を着た平常の身装であつた。「いや大船まで行つたら、下りると云ひ出すだらう。しかし下りないとなると困つたことだぞ」と、汽車が動き出すと私も不安になつた。ほんとにあのいつこく者の親父にどこまでもついて行けと云ひつけられて来たのかも知れないと思ふと、不憫にもなり、またこの娘一人を頼りにしてゐるFが娘の帰りを待つてるだらうと思ふと、Fが可哀相にもなつた。「ほんとに大船で下りないやうだつたら俺も帰らうか知ら。浮浪ももう沢山ぢやないか」と云ふ気もされたが、しかし構やしないと云ふ気にもなつた。自然に揺れ止むまで揺られてゐるか――と、自分と糞度胸を煽る気にもなつた。
「大船で乗替へて向うへ着くと十二時一寸過ぎになるんだが、宿屋で起きるか知ら?……」と私は話しかけたが、
「さうですかねえ」と、襟に頤を埋めて、黙りこくつた表情を動かさなかつた。
やはり十四五年前富士登山の時、山を下りて腹を痛めて一週間ばかし滞在してゐたずつと町の奥の、古風なF屋と云ふ宿屋の落付いた室が思ひ出されたりした。
底本:「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」ぎょうせい
1995(平成7年)年3月15日初版発行
底本の親本:「葛西善蔵全集 2」津軽書房
1975(昭和50)年発行
初出:「国本」
1921(大正10)年5月号
※「由井ケ浜」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
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