。
「そんなこと出来やしないよ。こんなことで東京へ帰られやしないぢやないか。だから斯んなことにして呉れないか。どうしてもこゝで厭だと云ふんだつたら、僕は他の旅館へ行つて二三日滞在して金を拵へることにするから、その間の費用として十五円ばかし心配して呉れないか。外套を質に置くか、それでなかつたら町の方の安い宿屋へ二三日のところ話して呉れないか」と私は懇願的に出た。
「真平ご免だ」と、彼は勝誇つた調子で云つた。
「ご免だと云つて、それならば僕の方でも金は拵へて払ふから品物を渡すのはご免だよ」
「それならば俺の方でもこゝの保証はご免蒙るよ」
「それは勝手だ。僕の方では警察にでも立合つて貰ふから。その方がまだ気持がいゝよ」
お内儀も這入つて来て二人の問答の間に口を入れたりしたが、やつぱし内田の方から断らせるやうに宿へ話し込んだものに違ひないことが明瞭になつて来た。彼としてはこゝで突放すのが一番有利だと思へるのも尤もでもある。それで話が難かしさうになると、彼はさつさと室を出て行つた。無理解と云ふ以外に私のやうな職業に対する反感も手伝つてゐるやうに見えた。
「私の方では内田さんと話がついたのですから、兎に角出て頂きます」お内儀は斯う云つて内田が残して行つたと云ふ羽織だけ持つて来た。
「内田さんだから羽織だけでも置いて行つたんで、警察の立合となると何一つだつて残しやしませんよ」
「しかしその方がまだ気持がよかつた。それであの品物は内田君が持つて行つたんですね?」
「え持つて行きましたよ」
「さうですか。それでは兎に角内田の兄さんとこへでも行つて話して見よう。何しろ馬鹿々々しい話だ」
「さうですねえ、兄さんにはまた兄さんだけの考へもありませうから」と、お内儀も幾らか同情したやうな調子で云つた。
三
兄さんの家は停車場近くであつた。その辺は鉱山と同時に新らしく開けた、長家風の粗末な建物がごちや/\軒を並べたやうな町であつた。店さきに座つてゐた四十一二の兄さんは「まあおあがり……」斯う云つて私を奥へ案内しかけたが、先刻と同じやうに険悪な顔した内田が奥から出て来て、私を外へ引張り出した。
「何しに来たんだ?」
「兄さんへでも相談して見ようと思つて来たさ」
「兄さんなんか相手にするもんか。それよりも東京へ帰つたらいゝだらう」
「帰られはしないよ。それに汽車賃だつてありやしないさ」
「汽車賃位ゐなら貸してやらう」
「ご免だ」
「そんなら勝手にするさ。しかしこれ以上はどんなこと云つて来たつて俺の方では相手にしないからね、そのつもりでゐ給へ。営業妨害だよ。君なんかの相手になつてゐられるもんか」彼は斯う云ひ棄てゝ歩るいて行つた。
何と云ふ可笑しな男だらう、しかし自分なんかの生活では有勝ちのことなんだが、あの男にとつては非常に真剣な一大事なのかも知れないと思ふと、彼の後姿を見送つて、私には苦笑以上に憤慨の気も起らなかつた。そして店さきに引返して土間の腰掛に腰をかけながら、兄さんに今度の事情を話した。
「そんな訳なもんですから、これから手紙を出して金を取寄せる間、二三日のところどうかしたいと思ふんですけど、それで内田君が持つて来た品物を質入れした内から十五円ばかり借りたいと思ふんですけど、何しろ内田君はひどく激昂してゐるんで、それであなたから何とか内田君に話して貰ひたいと思ふんですが……」内田も多分品物は宿屋に渡してあることゝ思はれたが、此際斯う云ひ出すほかなかつた。
「あれは何しろあの通りいつこくな奴でして、商売上のことでは私の方でも干渉もするし、また干渉もせずにゐられませんが、その他のことでは、一切干渉しないことにしてゐるんで、こつちで親切で云ふことでもすぐ反抗して来ると云つたやうな訳ですから、私が行つて見ても何と云ふか知れませんがね、それでは私は今すぐ後から出かけますから、あなたひと足さきに行つてゝ呉れませんか。一寸しかけた用事を片附けてすぐ後から参ゐりますから……」
斯う云はれて私はまたひとりで内田の店まで十町近くのところを歩るいて行つた。店さきには鉱山の印半纏の上に筒袖の外套を着て靴を穿いた坑夫の小頭とでも云つた男が立ちながら、襦袢の袖を出さして見てゐた。縮緬と絹との一対づゝであつた。
「幾らに負かるんかね?」
「お値段のところはどうも。まつたくお取次ぎ値段でして、昨年の高い時分には十二三円からした品物なんですから、七円と云ふのはまつたくもうお取次ぎの値段を申しあげたんで、他所を聞いてご覧になつて高いやうなことがありましたらいつでもお返しになつて差支えありませんから、まつたくどうもお値段のところは……さうですね、それではほんのお愛嬌に十銭だけお引きしませう」
「十銭と云ふと、やつぱし七円だな」
「へえ、まつたくどうもお値段のところは
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