暴をしたか、それは知らないんだが、大体としては私は、手を以《もつ》て人を打ち、人の器物を破壊し、人の体に怪我をさせるといふことは大変好かない。如何《いか》なる場合に於《おい》てもそれは好かない。そんなことを云ふと随分笑ふ人もあるだらうけれど、我輩の手は呪《のろ》はれた手なんだ。「呪はれた手」といふ小品を書いたこともあるが、我輩の娘、いまは十四になるが、七八年前僕等がもつと貧乏な時代、郷里で親父どもの世話になつてをつた時分だつたものだから義理ある母の手前、不憫《ふびん》ではあつたが、娘の頬《ほつ》ぺたを打つた。打つて親父の家を出て、往来の白日の前に立つて見て、涙を止めることが出来なかつた。打つまじきものを打つた、この手に呪ひあれ、呪はれた手であるといふ心持から「呪はれた手」といふのを書いて二度三度これを繰返してはならない、さう思つて来てゐるわけなのですが、いつも酔払つては喧嘩ばかししてをるといふことになつてをつて、それもこれも皆心の至らぬ故《ゆゑ》に違ひない。

 世間のことはいろ/\とむつかしく出来てゐるものらしく、僕達には分らないことが多い。自分を本当に信じてゐてくれるをんな、男なん
前へ 次へ
全17ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
葛西 善蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング