山本山と銘打った紅いレッテルの美《うる》わしさ! 彼はその刹那に、非常な珍宝にでも接した時のように、軽い眩暈《めまい》すら感じたのであった。
彼は手を附けたらば、手の汗でその快よい光りが曇り、すぐにも錆が附きやしないかと恐るるかのように、そうっと注意深く鑵を引出して、見惚《みと》れたように眺め廻した。……と彼は、ハッとした態《さま》で、あぶなく鑵を取落しそうにした。そして忽《たちま》ち今までの嬉しげだった顔が、急に悄《しょ》げ垂れた、苦《にが》いような悲しげな顔になって、絶望的な太息を漏らしたのであった。
それは、その如何にも新らしい快よい光輝を放っている山本山正味百二十匁入りのブリキの鑵に、レッテルの貼られた後ろの方に、大きな凹みが二箇所というもの、出来ていたのであった。何物かへ強く打つけたか、何物かで強く打ったかとしか思われない、ひどい凹みであった。やがて、当然、彼の頭の中に、これを送った処のYという人間が浮んで来た。あの明確な頭脳の、旺盛な精力の、如何なる運命をも肯定して驀地《まっしぐ》らに未来の目標に向って突進しようという勇敢な人道主義者――、常に異常な注意力と打算力とを
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