、決して不道徳なものではない。好い意味の貧乏というものは、却て他人に謙遜な好い感じを与えるものだが、併し小田のはあれは全く無茶というものだ。貧乏以上の状態だ。憎むべき生活だ。あの博大なドストエフスキーでさえ、貧乏ということはいゝことだが、貧乏以上の生活というものは呪うべきものだと云っている。それは神の偉大を以てしても救うことが出来ないから……」斯うまた、彼等のうちの一人の、露西亜文学通が云った。
また、つい半月程前のことであった。彼等の一人なるYから、亡父の四十九日というので、彼の処へも香奠《こうでん》返しのお茶を小包で送って来た。彼には無論一円という香奠を贈る程の力は無かったが、それもKが出して置いて呉れたのであった。Yの父が死んだ時、友人同士が各自に一円ずつの香奠を送るというのも面倒だから、連名にして送ろうではないかという相談になって(彼はその席には居合せなかったが)その時Kが「小田も入れといてやろうじゃないか、斯ういう場合なんだからね、小田も可愛相だよ」斯う云って、彼の名をも書き加えて、Kが彼の分をも負担したのであった。
それから四十九日が済んだという翌くる日の夕方前、――丁
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