くに、只《と》見れば彼方《かなた》の山岸の、野菊あまた咲き乱れたる下《もと》に、黄なる獣《けもの》眠《ねぶ》りをれり。大《おおき》さ犬の如くなれど、何処《どこ》やらわが同種《みうち》の者とも見えず。近づくままになほよく見れば、耳立ち口|尖《とが》りて、正《まさ》しくこれ狐なるが、その尾の尖《さき》の毛抜けて醜し。この時黄金丸思ふやう、「さきに文角《ぶんかく》ぬしが物語に、聴水《ちょうすい》といふ狐は、かつてわが父|月丸《つきまる》ぬしのために、尾の尖|咬《かみ》切られてなしと聞きぬ。今彼の狐を見るに、尾の尖|断離《ちぎ》れたり。恐らくは聴水ならん。阿那《あな》、有難や感謝《かたじけな》や。此処にて逢ひしは天の恵みなり。将《いで》一噬《ひとか》みに……」ト思ひしが。有繋《さすが》義を知る獣なれば、眠込《ねご》みを噬まんは快からず。かつは誤りて他の狐ならんには、無益の殺生《せっしょう》なりと思ひ。やや近く忍びよりて、一声高く「聴水」ト呼べば、件《くだん》の狐は打ち驚き、眼《まなこ》も開かずそのままに、一|間《けん》ばかり跌※[#「足へん+易」、第4水準2−89−38]《けしと》んで、慌《あ
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