のこそ、正《まさ》しく月丸が死骸《なきがら》なれば、「さては彼の虎めに喰《く》はれしか、今一足早かりせば、阿容々々《おめおめ》他《かれ》は殺さじものを」ト、主人《あるじ》は悶蹈《あしずり》して悔《くや》めども、さて詮術《せんすべ》もあらざれば、悲しみ狂ふ花瀬を賺《す》かして、その場は漸くに済ませしが。済まぬは花瀬が胸の中《うち》、その日よりして物狂はしく。旦暮《あけくれ》小屋にのみ入りて、与ふる食物《かて》も果敢々々敷《はかばかしく》は喰《くら》はず。怪しき声して啼《なき》狂ひ、門《かど》を守ることだにせざれば、物の用にも立《たた》ぬなれど、主人は事の由来《おこり》を知れば、不憫さいとど増さりつつ、心を籠めて介抱なせど。花瀬は次第に窶《やつ》るるのみにて、今は肉落ち骨|秀《ひい》で、鼻頭《はなかしら》全く乾《かわ》きて、この世の犬とも思はれず、頼み少なき身となりけり。かかる折から月満ちけん、俄《にわ》かに産の気|萌《きざ》しつつ、苦痛の中に産み落せしは、いとも麗はしき茶色毛の、雄犬ただ一匹なるが。背のあたりに金色の毛混りて、妙《たえ》なる光を放つにぞ、名をばそのまま黄金丸《こがねまる》
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