ば、忽ち発止《ぱっし》と物音して、その身の頸《くび》は物に縛《し》められぬ。「南無三《なむさん》、罠《わな》にてありけるか。鈍《おぞ》くも釣《つ》られし口惜《くちお》しさよ。さばれ人間《ひと》の来らぬ間に、逃《のが》るるまでは逃れて見ん」ト。力の限り悶掻《もが》けども、更にその詮《せん》なきのみか咽喉《のど》は次第に縊《しば》り行きて、苦しきこといはん方《かた》なし。
恁《かか》る処へ、左右の小笹|哦嗟々々《がさがさ》と音して、立出《たちいず》るものありけり。「さてはいよいよ猟師《かりうど》よ」ト、見やればこれ人間《ひと》ならず、いと逞《たく》ましき二匹の犬なり。この時|右手《めて》なる犬は進みよりて、「やをれ聴水われを見識《みし》れりや」ト、いふに聴水|覚束《おぼつか》なくも、彼の犬を見やれば、こは怎麼《いか》に、昨日黒衣に射らせたる黄金丸なるに。再び太《いた》く驚きて、物いはんとするに声は出でず、眼《まなこ》を見はりて悶《もだ》ゆるのみ。犬はなほ語を続《つ》ぎて、「怎麼に苦しきか、さもありなん。されど耳あらばよく聞けかし。爾《なんじ》よくこそわが父を誑《たぶら》かして、金眸には咬《く》はしたれ。われもまた爾がためには、罪もなきに人間《ひと》に打たれて、太《いた》く足を傷《きずつ》けられたれば、重なる意恨《うらみ》いと深かり。然るに爾その後《のち》は、われを恐れて里方へは、少しも姿を出《いだ》さざる故、意恨をはらす事ならで、いとも本意《ほい》なく思ふ折から。朱目《あかめ》ぬしが教へに従ひ、今宵此処に罠を掛《かけ》て、私《ひそ》かに爾が来《きた》るを待ちしに。さきにわがため命を棄《すて》し、阿駒《おこま》が赤心《まごころ》通じけん、鈍《おぞ》くも爾釣り寄せられて、罠に落ちしも免《の》がれぬ天命。今こそ爾を思ひのままに、肉を破り骨を砕き、寸断々々《ずたずた》に噛みさきて、わが意恨《うらみ》を晴らすべきぞ。思知つたか聴水」ト、いひもあへず左右より、掴《つか》みかかつて噛まんとするに。思ひも懸けず後より、「※[#「口+約」、101−4]《やよ》黄金丸|暫《しばら》く待ちね。某《それがし》聊《いささ》か思ふ由あり。這奴《しゃつ》が命は今|霎時《しばし》、助け得させよ」ト、声かけつつ、徐々《しずしず》と立出《たちいず》るものあり。二匹は驚き何者ぞと、月光《つきあかり》に透《すか》し見れば。何時《いつ》のほどにか来りけん、これなん黄金丸が養親《やしないおや》、牡牛《おうし》文角《ぶんかく》なりけるにぞ。「これはこれは」トばかりにて、二匹は再び魂《きも》を消しぬ。
第十三回
恁《かか》る処へ文角の来らんとは、思ひ設けぬ事なれば、黄金丸驚くこと大方ならず。「珍らしや文角ぬし。什麼《そも》何として此処には来《きたり》たまひたる。そはとまれかくもあれ、その後《のち》は御健勝にて喜ばし」ト、一礼すれば文角は点頭《うなず》き、「その驚きは理《ことわり》なれど、これには些《ちと》の仔細あり。さて其処にゐる犬殿は」ト、鷲郎《わしろう》を指《ゆびさ》し問へば。黄金丸も見返りて、「こは鷲郎ぬしとて、去《いぬ》る日|斯様々々《かようかよう》の事より、図らず兄弟の盟《ちか》ひをなせし、世にも頼もしき勇犬なり。さて鷲郎この牛殿は、日頃|某《それがし》が噂《うわさ》したる、養親の文角ぬしなり」ト、互に紹介《ひきあわ》すれば。文角も鷲郎も、恭《うやうや》しく一礼なし、初対面の挨拶《あいさつ》もすめば。黄金丸また文角にむかひて、「さるにても文角ぬしには、怎麼《いか》なる仔細の候《そうろう》て、今宵此処には来たまひたる」ト、連忙《いそがわ》しく尋ぬれば。「さればとよよく聞《きき》ね、われ元より御身たちと、今宵此処にて邂逅《めぐりあ》はんとは、夢にだも知らざりしが。今日しも主家の廝《こもの》に曳《ひ》かれて、この辺《あたり》なる市場へ、塩鮭|干鰯《ほしか》米なんどを、車に積《つみ》て運び来りしが。彼の大藪《おおやぶ》の陰を通る時、一匹の狐物陰より現はれて、わが車の上に飛び乗り、肴《さかな》を取《とっ》て投げおろすに。這《しゃ》ツ憎き野良狐めト、よくよく見れば年頃日頃、憎しと思ふ聴水なれば。這奴《しゃつ》いまだ黄金丸が牙にかからず、なほこの辺を徘徊《はいかい》して、かかる悪事を働けるや。将《いで》一突きに突止めんと、気はあせれども怎麼にせん、われは車に繋《つ》けられたれば、心のままに働けず。これを廝に告げんとすれど、悲しや言語《ことば》通ぜざれば、他《かれ》は少しも心付かで、阿容々々《おめおめ》肴を盗み取られ。やがて市場に着きし後、代物《しろもの》の三分《みつ》が一《ひとつ》は、あらぬに初めて心付き。廝は太《いた》く狼狽《うろた》へて、さまざまに罵《ののし》
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