善にも強しといふ。爾《なんじ》今前非を悔いて、吾|曹《ら》がために討入りの、計策《はかりごと》を教ふること忠《まめ》なり。さればわれその厚意《こころざし》に愛《め》で、おつつけ彼の黒衣とやらんを討《うっ》て、爾がために恨《うらみ》を雪《すす》がん。心安く成仏《じょうぶつ》せよ」「こは有難き御命《おおせ》かな。かくては思ひ置くこともなし、疾《と》くわが咽喉《のど》を噬《か》みたまへ」ト。覚悟|極《き》むればなかなかに、些《ちっと》も騒がぬ狐が本性。天晴《あっぱれ》なりと称《たた》へつつ、黄金丸は牙を反《そ》らし、やがて咽喉をぞ噬み切りける。
第十五回
黄金丸はまづ聴水を噬みころして、喜ぶこと限りなく、勇気日頃に十倍して、直ちに洞へむかはんと、連忙《いそがわ》しく用意をなし。文角鷲郎もろともに、彼の聴水が教へし路を、ひたすら急ぎ往くほどに、やがて山の峡間《はざま》に出でしが、これより路次第に嶮岨《けわし》く。荊棘《けいきょく》いやが上に生《お》ひ茂りて、折々|行方《ゆくて》を遮《さえぎ》り。松柏《しょうはく》月を掩《おお》ひては、暗きこといはんかたなく、動《やや》もすれば岩に足をとられて、千仞《せんじん》の渓《たに》に落ちんとす。鷲郎は原来|猟犬《かりいぬ》にて、かかる路には慣れたれば、「われ東道《あんない》せん」とて先に立ち、なほ路を急ぎけるほどに、とかくして只《と》ある尾上《おのえ》に出でしが。此処はただ草のみ生ひて、樹は稀《まれ》なれば月光《つきあかり》に、路の便《たより》もいと易《やす》かり。かかる処に路傍《みちのほとり》の叢《くさむら》より、つと走り出でて、鷲郎が前を横切るものあり。「這《しゃつ》伏勢ござんなれ」ト、身構へしつつ佶《きっ》と見れば、いと大《おおい》なる黒猿の、面《おもて》蘇枋《すおう》に髣髴《さもに》たるが、酒に酔ひたる人間《ひと》の如く、※[#「人べん+稜のつくり」、109−3]※[#「人べん+登」、109−3]《よろめ》きよろめき彼方《かなた》に行きて、太き松の幹にすがりつ、攀《よじ》登らんとあせれども、怎麼《いか》にしけん登り得ず。幾度《いくたび》かすべり落ちては、また登りつかんとするに。鷲郎は見返りて、黄金丸に打向ひ、「怎麼に黄金丸、彼処《かしこ》を見ずや。松の幹に攀らんとして、頻《しき》りにあせる一匹の猿あり。もし彼の
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