て酔《えい》も十二分にまはりけん、照射《ともし》が膝を枕にして、前後も知らず高鼾《たかいびき》、霎時《しばし》は谺《こだま》に響きけり。かくて時刻も移りしかば、はや退《まか》らんと聴水は、他の獣|們《ら》に別《わかれ》を告げ、金眸が洞を立出でて、※[#「人べん+稜のつくり」、98−15]※[#「人べん+登」、98−15]《よろめ》く足を踏〆《ふみし》め踏〆め、わが棲居《すみか》へと辿《たど》りゆくに。この時《とき》空は雲晴れて、十日ばかりの月の影、隈《くま》なく冴《さ》えて清らかなれば、野も林も一面《ひとつら》に、白昼《まひる》の如く見え渡りて、得も言はれざる眺望《ながめ》なるに。聴水は虚々《うかうか》と、わが棲《す》へ帰ることも忘れて、次第に麓《ふもと》の方《かた》へ来りつ、只《と》ある切株に腰うちかけて、霎時《しばし》月を眺めしが。「ああ、心地|好《よ》や今日の月は、殊更《ことさら》冴え渡りて見えたるぞ。これも日頃|気疎《けぶた》しと思ふ、黄金|奴《め》を亡き者にしたれば、胸にこだはる雲霧の、一時に晴れし故なるべし。……さても照りたる月|哉《かな》、われもし狸ならんには、腹鼓も打たんに」ト、彼の黒衣が虚誕《いつわり》を、それとも知らで聴水が、佻々《かるがる》しくも信ぜしこそ、年頃なせし悪業の、天罰ここに報い来て、今てる空の月影は、即ちその身の運のつき[#「つき」に白丸傍点]、とは暁得《さと》らずしてひたすらに、興じゐるこそ愚なれ。
 折しも微吹《そよふ》く風のまにまに、何処《いずく》より来るとも知らず、いとも妙《たえ》なる香《かおり》あり。怪しと思ひなほ嗅《か》ぎ見れば、正にこれおのが好物、鼠の天麩羅《てんぷら》の香なるに。聴水忽ち眼《まなこ》を細くし、「さても甘《うま》くさや、うま臭《くさ》や。何処《いずく》の誰がわがために、かかる馳走《ちそう》を拵《こしら》へたる。将《いで》往《ゆ》きて管待《もてなし》うけん」ト、径《みち》なき叢《くさむら》を踏み分けつつ、香を知辺《しるべ》に辿《たど》り往くに、いよいよその物近く覚えて、香|頻《しき》りに鼻を撲《う》つにぞ。心魂《こころ》も今は空になり、其処《そこ》か此処《ここ》かと求食《あさ》るほどに、小笹《おざさ》一叢《ひとむら》茂れる中に、漸《ようや》く見当る鼠の天麩羅《てんぷら》。得たりと飛び付き咬《く》はんとすれ
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