体《みうち》の痍《きず》を舐《ねぶ》りつつ、「怎麼《いか》にや黄金丸、苦しきか。什麼《そも》何としてこの状態《ありさま》ぞ」ト、かつ勦《いた》はりかつ尋ぬれば。黄金丸は身を震はせ、かく縛《いまし》められし事の由来《おこり》を言葉短に語り聞かせ。「とかくは此処を立ち退《の》かん見付けられなば命危し」ト、いふに鷲郎も心得て、深痍《ふかで》になやむ黄金丸をわが背に負ひつ、元入りし穴を抜け出でて、わが棲居《すみか》へと急ぎけり。
第七回
鷲郎に助けられて、黄金丸は漸く棲居へ帰りしかど、これより身体《みうち》痛みて堪えがたく。加之《しかのみならず》右の前足|骨《ほね》挫《くじ》けて、物の用にも立ち兼ぬれば、口惜《くや》しきこと限りなく。「われこのままに不具の犬とならば、年頃の宿願いつか叶《かな》へん。この宿願叶はずば、養親《やしないおや》なる文角ぬしに、また合すべき面《おもて》なし」ト、切歯《はぎしり》して掻口説《かきくど》くに、鷲郎もその心中|猜《すい》しやりて、共に無念の涙にくれしが。「さな嘆きそ。世は七顛八起《ななころびやおき》といはずや。心静かに養生せば、早晩《いつか》は癒《いえ》ざらん。某《それがし》身辺《かたわら》にあるからは、心丈夫に持つべし」ト、あるいは詈《ののし》りあるいは励まし、甲斐々々しく介抱なせど、果敢々々《はかばか》しき験《しるし》も見《みえ》ぬに、ひたすら心を焦燥《いら》ちけり。或日鷲郎は、食物を取らんために、午前《ひるまえ》より猟《かり》に出で、黄金丸のみ寺に残りてありしが。折しも小春の空|長閑《のどけ》く、斜廡《ひさし》を洩《も》れてさす日影の、払々《ほかほか》と暖きに、黄金丸は床《とこ》をすべり出で、椽端《えんがわ》に端居《はしい》して、独り鬱陶《ものおもい》に打ちくれたるに。忽ち天井裏に物音して、救助《たすけ》を呼ぶ鼠《ねずみ》の声かしましく聞えしが。やがて黄金丸の傍《かたわら》に、一匹の雌《め》鼠走り来て、股《もも》の下に忍び入りつ、救助《たすけ》を乞ふものの如し。黄金丸はいと不憫《ふびん》に思ひ、件《くだん》の雌鼠を小脇《こわき》に蔽《かば》ひ、そも何者に追はれしにやと、彼方《かなた》を佶《きっ》ト見やれば、破《や》れたる板戸の陰に身を忍ばせて、此方《こなた》を窺《うかが》ふ一匹の黒猫あり。只《と》見れば去《いぬ》る日鷲
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