点]、アリヤン[#「アリヤン」に傍線]と云ひ、蒙古と云ひ、ヘブルウ[#「ヘブルウ」に傍線]と云ふ、半上落下の區分あるを許るさず。此の如きは學者書齋の文字のみ、天下の活機を以て律すべきにあらざる也。
亞細亞は已に人種的結成躰にあらず、また文明的結成躰にあらず。况んや政治的形躰にあらず。然らば唯だ是れ地理上の一空名の外何の實かある。詮じ來れば毫も意義あるものにあらず。ヘブルウの昔人、西方に日の沈むを見て、歐羅巴と名け、東方に日の昇るを見て、亞細亞と名けしのみ。若し[#「若し」に白丸傍点]、日本國民にして自ら其の土に立ちて東西を顧み[#「日本國民にして自ら其の土に立ちて東西を顧み」に白丸傍点]、支那大陸より歐洲を包含して[#「支那大陸より歐洲を包含して」に白丸傍点]、之を日西と名け[#「之を日西と名け」に白丸傍点]、南北米州を名けて[#「南北米州を名けて」に白丸傍点]、日東と爲すも[#「日東と爲すも」に白丸傍点]、また妨げず[#「また妨げず」に白丸傍点]。亞細亞と云ひ歐羅巴と云ふ、畢竟古人の隨意自由に命名したるものに過ぎず。古人の隨意なる命名に、人種的、文明的、政治的意義を賦與し、一個の形躰となし、一個の意志あるものとなし、自ら其前に跪きて、興廢感慨の涙を流し、空前絶後の世界的大業を傾けて、此の空名の犧牲とせんとするものあらば、是れ千古の痴愚にあらず耶。『亞細亞の日本』を主張するの結果此の如し。故に曰く[#「故に曰く」に二重丸傍点]、廣大にせられたる日本は[#「廣大にせられたる日本は」に二重丸傍点]『世界の日本[#「世界の日本」に二重丸傍点]』たらざるべからず[#「たらざるべからず」に二重丸傍点]。
亞細亞の名、詮じ來れば漠然無意義の語なる此の如し。知らず、亞細亞説を唱ふるもの、何を以て其の理由とする乎。若しそれ世に權詐の士あり、中心支那文明を崇拜し、其國風を嘉賞し、而して其の滅亡を嘆惜し、亞細亞なる一般名目によりて之を掩覆し、囘護し、亞細亞を生かすてふ廣義の中に、支那の復活を含ましめんとするものある乎。將た或は日進文明の自由なる大氣に對して、不平を抱き、日進の文明教化が、歐洲より淵源し來ると謂ふて之を厭惡し、亞細亞てふ歴史的名目によりて、懷舊思想を挑發し、以て歐西文明と相抗爭せしめんとするものある乎。是れ吾人が共に眞面目に論ずるを厭ふ所。何となれば是れ取りも直さず[#「
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