深憂大患
竹越三叉

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(例)※[#「冫+咸」、146−下−4]
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今や我國家、朝鮮の爲めに師を出し、清國の勢力を朝鮮より一掃し、我公使をして其改革顧問たらしめ、我政治家をして、其の參贊たらしむ。朝鮮あつて以來、我勢力の伸張する、未だ曾て此の如きはあらず。此に於てか國民、揚々として自得し、朝鮮を以て純乎たる我藩屏と信じ、其政治家は一に我に負かざる者と信ず、また前途の憂患を慮らず。然れども知らず耶[#「然れども知らず耶」に白丸傍点]、吾人の深憂大患は實に朝鮮より來らんとするを[#「吾人の深憂大患は實に朝鮮より來らんとするを」に白丸傍点]。吾人が朝鮮を得たるは[#「吾人が朝鮮を得たるは」に丸傍点]、實に蝮蛇の卵を懷中に抱きたるもの也[#「實に蝮蛇の卵を懷中に抱きたるもの也」に丸傍点]。
師を朝鮮に出して清國と爭ふは、獨り明治の國民が企畫したる事のみにあらず、天智天皇が百濟を助け、唐軍と戰つて、白村江に敗北したる以來、國民が一日も忘るゝ能はざりし一大目的也。一千二百年の雄志初めて酬ゆるの日に方つて、我國民が歡呼、欣舞するものまた偶然にあらず。唯だそれ情炎、燃るの日も、吾人は冷頭靜思せざるべからず。所謂る朝鮮に於ける吾人の勝利なるものは、唯だ清國に對する勝利、武力の勝利のみ。朝鮮は依然たる獨立國にして、其の自主自由の權あるや、前日と一毫の差なきを記臆せざるべからず。吾人は朝鮮に於ける[#「吾人は朝鮮に於ける」に白丸傍点]『勢力[#「勢力」に白丸傍点]』を得たるのみ[#「を得たるのみ」に白丸傍点]、未だ朝鮮を我屬國としたるものにあらず[#「未だ朝鮮を我屬國としたるものにあらず」に白丸傍点]。若し或は已に勢力を得たるが爲に、朝鮮は、凡べての事に於て、我が思ふが如く成るべしと爲さば、是れ妄信の甚しきもの也。若し一個[#「若し一個」に白丸傍点]、列國權力の平衡を知り[#「列國權力の平衡を知り」に白丸傍点]、列國嫉妬の情僞を知り[#「列國嫉妬の情僞を知り」に白丸傍点]、空拳を揮つて列國を掌上に弄せんとするマキヤベーリ的の政治家あらば[#「空拳を揮つて列國を掌上に弄せんとするマキヤベーリ的の政治家あらば」に白丸傍点]、吾人の懷中にある蝮蛇の卵は[#「吾人の懷中にある蝮蛇の卵は」に白丸傍点]、一夜に蜉生して腹心の病となるに至らん[#「一夜に蜉生して腹心の病となるに至らん」に白丸傍点]。而して最も能く此中の消息を知るものありとせば[#「而して最も能く此中の消息を知るものありとせば」に白丸傍点]、朝鮮の政治家之を知らん[#「朝鮮の政治家之を知らん」に白丸傍点]。吾人は[#「吾人は」に白丸傍点]『朝鮮服從[#「朝鮮服從」に白丸傍点]』の虚榮に眩惑して此の深憂大患に目を閉づる能はざる也[#「の虚榮に眩惑して此の深憂大患に目を閉づる能はざる也」に白丸傍点]。
盖し、天智、秀吉時代にありては、朝鮮に於ける吾人の敵手は、唯だ一、支那あるのみ。支那勢力を一掃せば即ち足る。必しも、其他を憂へざりし也。今や然らず。歐洲列國は猶ほ比隣の如し。吾人が朝鮮に於て爭ふ所は[#「吾人が朝鮮に於て爭ふ所は」に白丸傍点]、獨り支那の勢力に止らず[#「獨り支那の勢力に止らず」に白丸傍点]。吾人は病根を一掃するにあらざれば[#「吾人は病根を一掃するにあらざれば」に白丸傍点]、終始[#「終始」に白丸傍点]、列國の勢力と相競爭するの位置に立つを忘るべからず[#「列國の勢力と相競爭するの位置に立つを忘るべからず」に白丸傍点]。而して、今囘の大勝利なるものは、朝鮮に於ける支那の勢力を一掃したるのみ。苟も[#「苟も」に二重丸傍点]、他の勢力の存ずる以上は[#「他の勢力の存ずる以上は」に二重丸傍点]、朝鮮が獨立の名實を有する以上は[#「朝鮮が獨立の名實を有する以上は」に二重丸傍点]、他の勢力が活動すべき機會ある以上は[#「他の勢力が活動すべき機會ある以上は」に二重丸傍点]、第二の支那を[#「第二の支那を」に二重丸傍点]、朝鮮に生ずるは到底[#「朝鮮に生ずるは到底」に二重丸傍点]、避くべからざる事たるを覺悟せざるべからず[#「避くべからざる事たるを覺悟せざるべからず」に二重丸傍点]。知らず誰か是れ第二の支那たる者ぞ[#「知らず誰か是れ第二の支那たる者ぞ」に二重丸傍点]。
朝鮮に於ける第二の支那たる者の誰たるに係らず、列國の進んで乘ずるのみにあらず、朝鮮政治家は、何時にても門を開きて之を歡迎するの性情を有するものなるを忘るべからず。人或は閔泳駿等が支那の勢力に阿附したるを責めて、兇逆と爲すと雖も、事大主義は其國民の性情なるを奈何せん。支那黨より見れば、金朴の徒もまた閔の徒に異ならざる也。人或は大院君が平壤の大戰中に際して、私かに清國に通ぜんとしたるを云々して、其の反覆を尤む。然れども反雲、覆雨、彼に就き之に就きて、以て自ら安きを謀るは、其歴代政治家に一貫したる主義なるを奈何せん。朝鮮の政治家[#「朝鮮の政治家」に白丸傍点]、誰か能く[#「誰か能く」に白丸傍点]、此の國民的性情と[#「此の國民的性情と」に白丸傍点]、歴史的積勢の外に出るを得ん耶[#「歴史的積勢の外に出るを得ん耶」に白丸傍点]、已に然り[#「已に然り」に白丸傍点]、日本國民は其あらゆる同情を傾瀉して金朴の二人を保護したりと雖も[#「日本國民は其あらゆる同情を傾瀉して金朴の二人を保護したりと雖も」に白丸傍点]、誰れか金朴が能く百年我に負かざるを保せん耶[#「誰れか金朴が能く百年我に負かざるを保せん耶」に白丸傍点]。金の末路、清國に赴くの心事を知るものは必らず、そを知らん。朴泳孝が現に朝鮮内閣にありて、日本に對して如何なる態度を示めしつゝある乎。之を知るものはまた能く朝鮮の日本に對する將來の態度を知るを得べし。吾人は朴泳孝を親愛し其日本に負かざるべきを信ぜんと欲す。吾人は魚允中を親愛すること泳に※[#「冫+咸」、146−下−4]ぜず。其日本の恩義に負かざるを信ぜんと欲す。然れども[#「然れども」に二重丸傍点]、吾人は日本の恩義よりも更らに彼等に取りて重大なるものあるを忘るべからず[#「吾人は日本の恩義よりも更らに彼等に取りて重大なるものあるを忘るべからず」に二重丸傍点]。彼等の權力也[#「彼等の權力也」に二重丸傍点]。彼等の見る所の朝鮮の運命也[#「彼等の見る所の朝鮮の運命也」に二重丸傍点]。彼等日本を以て此二者に撞着すると爲すとき[#「彼等日本を以て此二者に撞着すると爲すとき」に二重丸傍点]、豈に飜然とし手を覆すなきを保せん耶[#「豈に飜然とし手を覆すなきを保せん耶」に二重丸傍点]。况んや彼等もまた大院君[#「况んや彼等もまた大院君」に二重丸傍点]、閔泳駿と等しく朝鮮政治家なるを耶[#「閔泳駿と等しく朝鮮政治家なるを耶」に二重丸傍点]。
彼等の山河已に生色なし、彼等の國力、はた自ら立つ能はず、彼等の固有の實力、已に自ら立つるに足るものなし。然れども、セルヴヰ[#「セルヴヰ」に二重傍線]、モンテネグロ[#「モンテネグロ」に二重傍線]の政治家が、歐洲の權力平衡を知るが如く、彼等は列國の愼僞を知る。彼等はマキアベーリ[#「マキアベーリ」に傍線]を讀まざるも、其半島國たる形勢は、自然に彼等に教ゆるにマキアベーリ[#「マキアベーリ」に傍線]主義を以てす。彼等は日本の兵力を見て恐怖すと雖も、世界の表面には日本の兵力と匹敵する國民ありて常に之に乘ぜんとするを知れり。彼等は支那の勢力已に日本の爲めに朝鮮より一掃せらるゝを見るも、更らに第二の支那たらんとするものあるを知れり。第二の支那を作るの易々たるを知れり。日本は朝鮮の獨立を世界に公言したるがため、また朝鮮の主權を如何ともする能はざるを知れり。彼等は其獨立の名あるがために、獨立の實を日本に求むるも、順にして事正しく列國の皆な之を承認すべきを知れり。彼等は一の兵力を有せざるも、列國の權力平均と、妬嫉の情とを利用せば、以て日本の干渉を遮ぎるに足るべきを知れり。彼等は半開國と雖も、暹羅安南の如きものにあらず。半島國固有の氣質は、彼等をして外交的技倆を具へしむ。而して今や彼等は日本に對して漸やく嫌たらざらんとし[#「而して今や彼等は日本に對して漸やく嫌たらざらんとし」に白丸傍点]、漸やく他の勢力を利用するも日本の干渉を※[#「冫+咸」、146−下−26]ぜんとするを見る[#「漸やく他の勢力を利用するも日本の干渉を※[#「冫+咸」、146−下−26]ぜんとするを見る」に白丸傍点]。現に三百萬圓の貸附金の如きも、彼等は約しては負き、負きては約し、曖昧躊躇す。而して其の實は他の某國より五百萬圓を貸與せんと云ふの喚諾に迷ふて然る也。また、其の三百萬圓の抵當の如きも、日本政府、海關税を以て之に充てしめんとすれば、已に他の國家に對して抵當とせるを發見す。列國の形勢[#「列國の形勢」に丸傍点]、經濟上の欠乏[#「經濟上の欠乏」に丸傍点]、其政治家の狡獪は[#「其政治家の狡獪は」に丸傍点]、内外上下相結合して[#「内外上下相結合して」に丸傍点]、到底日本をして主一の保護者たらしめず[#「到底日本をして主一の保護者たらしめず」に丸傍点]。第二の支那を他より招かずんば休せざるべし[#「第二の支那を他より招かずんば休せざるべし」に丸傍点]。此時に方つては吾人は恐るべき一大勢力と相交渉せざるべからざるを發見せん[#「此時に方つては吾人は恐るべき一大勢力と相交渉せざるべからざるを發見せん」に丸傍点]。牙山の驛[#「牙山の驛」に丸傍点]、白衣の韓人草野を行くあり[#「白衣の韓人草野を行くあり」に丸傍点]。之を追ふて誰何すれば大聲を發して走り[#「之を追ふて誰何すれば大聲を發して走り」に丸傍点]、言下に支那の伏兵起つて我を要撃す[#「言下に支那の伏兵起つて我を要撃す」に丸傍点]。吾人は朝鮮の爲め[#「吾人は朝鮮の爲め」に丸傍点]、外交の上に於て此の如き塲合に引き入れられ突として第二の支那と草野に相逢ふの日あるは瞭々乎として見るべき也[#「外交の上に於て此の如き塲合に引き入れられ突として第二の支那と草野に相逢ふの日あるは瞭々乎として見るべき也」に丸傍点]。故に曰く朝鮮を得たるは寶玉を得たるにあらずして[#「故に曰く朝鮮を得たるは寶玉を得たるにあらずして」に二重丸傍点]、蝮蛇の卵を懷中に抱くもの也[#「蝮蛇の卵を懷中に抱くもの也」に二重丸傍点]。深憂大患[#「深憂大患」に二重丸傍点]、藏して其中にあり[#「藏して其中にあり」に二重丸傍点]。漫に虚榮の念に驅られて歡乎すべからざる也[#「漫に虚榮の念に驅られて歡乎すべからざる也」に二重丸傍点]。
且つそれ[#「且つそれ」に丸傍点]、屬國にあらず[#「屬國にあらず」に丸傍点]、領地にあらず[#「領地にあらず」に丸傍点]、名實共に獨立にして[#「名實共に獨立にして」に丸傍点]、助を我に仰ぐの國は决して[#「助を我に仰ぐの國は决して」に丸傍点]、長く我國民の堪ゆべき所にあらざる也[#「長く我國民の堪ゆべき所にあらざる也」に丸傍点]。獨り我國の堪へざるのみならず[#「獨り我國の堪へざるのみならず」に丸傍点]、列國の衰弱實に此に基づく[#「列國の衰弱實に此に基づく」に丸傍点]。何となれば彼れ我領有たらば、吾人の思ふが如く、善政良法を布くべし。美風善俗を養ふべし。工藝學問を植ゆべし。期年にして其の生産する所、我國家に酬ゆる所、また相當のものあるべし。其民によつて其國を治む。勞多しと雖も、効もまた少からず。然れども領有せざる他の保護國は此の如き報酬ある能はず[#「然れども領有せざる他の保護國は此の如き報酬ある能はず」に白丸傍点]。其國は我に對して國家的思想を有せず[#「其國は我に對して國家的思想を有せず」に白丸傍点]。國民的思想を有せず[#「國民的思想を有せず」に白丸傍点]。我に對して租税を納れず[#「我に對して租税を
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