だ。
「えらい。」私もぐっと飲んだ。「僕ね、きょうはとても、うれしいんだ。小説は書きあげたし。」
「あら! 小説家?」
「しまった。見つけられたな。」
「いいわねえ。」
雪は、酔っぱらったらしく、とろんとした眼をうっとり細めた。それから、この温泉地に最近来たことのある二三の作家の名前を言った。ああ、そのなかに私の名前もあるではないか。私は、私の耳をうたがった。酔がいちじに醒《さ》める気がした。ほんものがこのまちに来ている。
「君は、知っているの?」
私は、こんな場合に、よくもこんなに落ちつけたものだ、といまでも感心している。臆病者というものは、勇士と楯のうらおもてぐらいのちがいしかないものらしい。
「いいえ。見たことがないわ。でもいま、そのかた、百花楼に居られるって。あなた、おともだち?」
私は、ほっと安心した。それでは、私のことだ。百花楼のおなじ名前の作家がふたりいる筈がない。
「どうして百花楼にいることなんか知れたんだろう。」
「それあ、判るわ。私、小説が少し好きなの。だから、気をつけてるの。宿屋のお女中さんたちから聞いたわ。なんと言ったって、狭いまちのことだもの。それあ、判
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