き、蝶が舞い、雲雀《ひばり》が舞っています。あんまりいい景色ですから、豚吉はぼんやり立って見ていますと、すぐ眼の前の古井戸の口で遊んでいた一人の女の児《こ》が、どうしたはずみか井戸の中へ落ちました。
 豚吉は驚いて駈け寄りますと、暗い底の方から女の子の泣き声がきこえます。けれども、そこいらに梯子《はしご》もなければ綱もありません。
 豚吉は困りましたが、放っておけば女の児が死にそうですから、すぐに上衣を脱いで、ズボンを脱いで、シャツ一枚になって井戸の中へ真逆様《まっさかさま》に飛び込みました。
 ところが身体《からだ》が大きいものですから、底へ達《とど》きません。それどころか、ほんの入り口の処へ身体《からだ》が一パイに引っかかって、動くこともどうすることも出来なくなりました。
 豚吉は驚きました。
「助けてくれ助けてくれ」
 と一生懸命で怒鳴りましたが、身体《からだ》が井戸の口に塞《ふさ》がっているので外へはきこえず、おまけに下では女の児が泣き立てますので、その八釜しいこと、耳も潰れるばかりです。しまいには豚吉も情なくなって、オイオイ泣き出しました。下からは女の児が泣きます。けれども誰にもきこえませんので、助けに来てくれる人がありません。
 その中《うち》に豚吉は声が涸《かれ》てしまいました。
 ところへ、井戸へ落ちた児のお母さんが、子供はどこに行ったかしらんと探しながらやって来ましたが、見ると、大きな短い足が二本、井戸の中からニューと突出てバタバタ動いています。驚いて走り寄って見ますと、大きな身体《からだ》が井戸の口一パイになっていて、下の方から自分の子供の泣き声がきこえます。
 お母さんは肝を潰すまいことか。
「まあ、妾《わたし》の娘はどうしてこんなに急に大きくなったんだろう。何だか男のような恰好《かっこう》だけれど、泣いてる声をきくとうちの子のようだ。何にしても助けて見なければわからない」
 と云いながら、急いでその足を捕えて引っぱって見ましたが、どうしてなかなか抜けそうにもありません。
 お母さんはいよいよ慌てて村の方へ駈け出しました。
「助けて下さい。うちの娘が井戸の口一パイに引っかかって泣いています。早く誰か来て助けて下さい」
 と泣きながらお母さんが叫びますと、村の人々はみんなビックリしました。
「それは珍らしい話だ。まさか井戸の水を飲んでそんなにふくれたんじゃあるまいが……行って見ろ行って見ろ」
 と大勢押しかけて来ますと、成る程、井戸の中から大きな足が二本突出てバタバタやっている下から女の児の声がします。
「これは不思議だ。足は男のようだが、声は女の子の声だ」
「変だな」
「面白いな」
「奇妙だな」
「何でもいいから早く引っぱり出して見よう。そうすればわかる」
「そうだそうだ」
 と云ううち、大勢寄ってたかって引っぱり初めましたが、身体《からだ》が井戸の口にシッカリはまっている上に重たいのでなかなかぬけません。
「これはどうだ。中々《なかなか》抜けない」
「どうしたらいいだろう」
「仕方がない。車仕掛けで引き上げよう」
「そうだそうだ。それがいいそれがいい」
 と云うので、今度は村長さんのところへ行って井戸の水汲み車を借りて来まして、綱の一方に豚吉の足を結びつけて、その綱を車に引っかけると、大勢でエイヤエイヤと引き初めました。
 豚吉は驚きました。何をするかと思うと、大変な強い力でイキナリグングン足を引っぱられ初めましたので、今にも足が腰のつけ根から抜けてしまいそうで、その痛いこと痛いこと。
「痛い痛い。ヒイーッ」
 と豚吉は死ぬような声を出し初めました。
 これをきいた娘のお母さんは気が気でありません。
「あれ、もう止して下さい止して下さい。娘の足が抜けてしまいます。足が抜けて死んだら大変です」
 と泣きながら止めましたので、村の人も引っぱるのを止めました。
「この上引っぱったら足が抜けるばかりだが、どうしたらいいだろう」
 と村の人は相談を初めました。
「仕方がないから鍬《くわ》を持って来て、まわりから掘り出そう」
「それがいいそれがいい」
 と云うので、又みんな村へ帰って、めいめいに鋤《すき》や鍬を持って来て掘り初めました。
「みんな、気をつけろ。娘さんの腹へ鍬や鋤を打ちこむな」
 と大変な騒ぎになりました。
 ヒョロ子はそんなことは知りません。最前の通り、二粒か三粒|宛《ずつ》御飯を口に入れて、よく念を入れて噛んでは、お汁《つゆ》をほんのすこし嘗めながら、やっと御飯を一杯とお汁《つゆ》を一杯たべてしまいまして、又一杯食べようとしますと、何だか裏の方で人が騒いでいるようです。
「サア、人間掘りだ人間掘りだ」
「まだ生きているんだぞ」
「怪我《けが》させぬように掘出せ掘出せ」
 と云う声もきこえます。

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