とはいえ医学上あり得べき事でない。一つの途方もない奇蹟、もしくは驚異的な出来事である。してみると人間の精神の力は肉体が死んでも生き残るものかも知れない……とつくづく思わせられた事であった」
 この話を筆者と一緒に聞いて居られた権藤夫人は現存して居られる。又前医師会理事権藤寿三郎氏が言葉を飾る人でなかった事は周知の事実である。
 筆者は、まだ、これ程の偉大崇高な臨終を見た事も聞いた事もない。翁は九州の土が生んだ最も高徳な人ではなかったろうか。
 その銅像の銘には古賀得四郎氏揮毫の隷書で左の意味の文句が刻んで在る。

       梅津只圓翁

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翁ハ旧黒田藩喜多流ノ能楽師ナリ。明治四十三年九十四歳ヲ以テ歿ス。弱冠ニシテ至芸、切磋一家ヲ成ス。喜多流宗家|六平太《ろっぺいた》氏未ダ壮ナラズ、嘱セラレテ之ヲ輔導ス。屡《しばしば》雲上高貴ニ咫尺《しせき》シ、身ヲ持スルコト謹厳|恬淡《てんたん》ニシテ、芸道ニ精進シテ米塩ヲカヘリミズ。ソノ人ニ接スルヤ温乎玉ノ如ク、子弟ヲ薫陶スルヤ極メテ厳正ニ、老ニ到ツテ懈《おこた》ラズ。福岡地方神社ノ祭能ヲ主宰シ恪勤《かっきん》衆ニ過グ。一藩
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