来利彦氏のお稽古は、翁が自分の芸の後継者と思っていたのであろう。極度の酷烈を極めたものであったので、私は見るに忍びないために滅多にお稽古を拝見せず、外で遊ぶ事にきめていたのであった。
 ところが舞台に入ってみると、「野守《のもり》」の「切《きり》」のお稽古で、その稽古振りの猛烈なこと、とても形容の及ぶところでない。武道、その他の勝負等の場合には、相手の調子によって気合いが抜ける場合がないとも限らないが、能の仕舞の如きは、体力、芸力の気合いが寸分の隙間もなく続いて行かねばならぬ。……その気合いを抜いて上手に舞おうと心掛けるのは負けて逃げるのと同じこと。喜多流では許さぬ。「それじゃけに喜多流は六《むず》かしい」……と翁が人に話していた言葉を記憶しているが、正にその通りで、殊に「野守」の仕舞の如きは、その前後に見た翁の稽古の中でも最も峻厳、酷烈を極めたものであったように思う。舞台面のモノスゴサに惹きつけられて、身動きも出来ず見ているうちに、体を緩めたり、気を抜く余裕なんか只の一刹那もないところを翁が教育している事が、子供心にもハッキリとわかった。
 血気盛んな利彦氏が渾身の気合いをかけて前進
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