ホッとしたものか、急に持病の喘息が差込んで来て、「たださながらに十余人」の謡を謡いさしたまま息を呑んでシテ座に平伏してしまった。
そこで謡を誰が代りに謡ったか記憶しないが下曲を終り、ワキとの懸合《かけあ》いに入ると、やっと朔造氏が気息を繕《つくろ》って顔色蒼然たるまま謡い出し、山伏舞を勤め終ったが、その焦瘁《しょうすい》疲労の状は見るも気の毒な位であった。
朔造氏は幕に這入ると、装束のまま楽屋の畳の上に平伏して息も絶え絶えに噎《む》せ入ったが、その背後から翁が、
「ええい……このヒョロヒョロ弁慶……ヒョロヒョロ弁慶……」
と罵倒する大声が、舞台、見所《けんしょ》は勿論、近隣までも響き渡ったので、観衆は皆眼を丸くして顔を見合わせていた。
その時の筆者は十四五歳であったろうか。何事かと思って見所から楽屋を覗きに行ったものであったが、その時の翁の声と顔付の恐ろしかった事を想起すると、今でも肌に粟を生ずる思いがある。
◇
梅津利彦氏が十七八歳頃の事であったろうか。右手に赤塗のお盆を持って翁の後から舞台に行くので、子供心に何事かと思って随《つ》いて行った。
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