いのう》、小習《こならい》等を相伝したという。
 次の話は翁のその頃の苦心をあらわすもので、或は逸話の部類に入れるべき事柄かも知れぬ。又出所等も詳《つまびら》かでないが、筆者が何かの大衆雑誌で読んだ事である。
 翁が能静氏の門下で修業中、名曲「融《とおる》」の中入《なかいり》後、老人の汐汲《しおくみ》の一段で「東からげの潮衣――オ」という引節《ひきふし》の中で汐を汲み上げる呼吸がどうしても出来なかった。そこで能静氏から小言を云われっ放しのまま残念に思って帰郷の途中、須磨の海岸で一休みしながら同地の名物の汐汲みを眺めていたが、打ち寄せる波が長く尾を引いて、又引き返して逆巻こうとするその一刹那をガブリと担い桶に汲み込んで、そのまま波に追われながら後退《あとしざ》りして来る海士《あま》の呼吸を見てやっと能静氏の教うる「汐汲み」の呼吸がわかった。同時に「潮衣――オ――」という引節に含まれた波打際の妙趣がわかったので、感激しながら帰途に就いたという。
 前記の通り事の真偽は知らないが、斯様《かよう》な話が世に伝えられているところを見ると、この当時の翁の苦心が多少に拘らず世に伝えられていた証左とし
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