の手法鮮かな、生けるが如き原型を作り上げた。それから毎晩半徹夜の努力を払って自ら石膏の型を取り、自身に荷造りして即刻東京に持帰る途中、岡山で土台石まで自身に選択し、東都で自身監督の下に鋳造させるという感激振りを示した。
 翁の塑像製作中、津上氏は古賀氏、佐藤氏、筆者等が傍《かたわら》で語る只圓翁の逸事を聞きながら、
「愉快ですなあ。立派な人ですなあ。製作するのに気持ちがいいですなあ」
 と打喜び、東京へ出発の際翁の石膏像を動かしながら、
「私は大きな拾い物をしました」
 と眼をしばたたいた程の感激振りであった。そうしてまだ発起人連中の予算の相談も纏まらぬ中《うち》に、前掲の如き見事な銅像と土台石が津上氏から古賀得四郎氏の許へ到着したので、筆者等は少なからず狼狽させられながらも津上氏の感激振りに心から感激した。同時に今更のように只圓翁の遺徳の高大さを仰いだ次第であった。
 しかしここに困った事は津上氏の感激のために、ほかの場合では一番最後に後《おく》れて出来上り勝ちの銅像が、まだ何事も決定しない一番先に出来上ってしまった事である。敷地は既に翁の後嗣梅津謙助氏の好意で薬院中庄の翁の旧宅跡に
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