」一基に合葬されてアトカタもなくなっているのに驚き、急に主となって奔走して旧門下古賀得四郎氏、同柴藤精蔵氏、同筆者等に謀《はか》った結果、銅像建設の議が起った。しかし前述の通り旧門下といっても指を屈する程度にしか残存していないので、大きな計画は無論出来ない。そのために前記諸氏の間で色々評議を重ねているところへ古賀得四郎氏の友人、春吉の医師松田盛氏の紹介で糸島出身の彫塑《ちょうそ》家津上昌平氏がこの評議に参加した。
 津上氏は帝展に数回特選され、数多の名士の銅像を作った人であるが、席上梅津只圓翁の人格を聞き、次いでその写真数葉を見るに及んで非常に感激し、吶々《とつとつ》たる口調で、
「実に立派な人ですなあ。私はこんなお爺さんの顔を見るのは初めてです。失礼ですが私は私費を投じてもこのお爺さんの銅像を製作したいです。是非一つ思う存分に作らせて下さい」
 と云うので間もなく、昭和九年春の大寒中、古賀氏住宅附近の空屋に泊り込み、寝食を忘れて製作に熱中し出した。
 そうして筆者等の予算計画の約二倍大に当る等身大の座像をグングン捏《こ》ね上げ初め、十数日後には、筆者等が見ても故人に生写しと思われる程
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