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 故男爵安川敬一郎氏は先年筆者にかく語った。
「私が能に志したのは六十歳の時であった。当時福岡は只圓翁のお蔭で喜多流全盛の時代であった。喜多流に非ざれば能楽に非ずという勢いであった。そこでそれならば自分は一つ宝生流を福岡に広めてやろう。喜多流ばかりが能でないという事を事実に証明してやろう……という程のことでもなかったが、それ位の意気組でわざと宝生流のために尽力した。そのような訳合いで健次郎(松本氏)などと違うて私は翁の直門という訳ではない。しかし鼓を担いで翁の門下の人々の能をつとめたのは六十歳の時以来度々であった。あのような立派な先生が又現われるかどうかわかったものでない。私は今でも鼓と、宝生流の研究では若い者に負けないつもりである。年齢こそ八十の坂を越しているが、能に入ったのが六十歳だから能楽の弟子としてはまだ二十歳の血気盛りのつもりでいる。なまけてはいられぬと思うが、何しろ年で、鼓が肩の上でコロコロと運動するのでなあ。ハッハッハッ」

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 只圓翁は前記の通り稽古の上で素人と玄人の区別をしなかった。大勢の弟子を取っている人でも、自分
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