て囃子方に附合い過ぎるので翁から叱られる位であったという。
◇
又斎田惟成氏は比較的後進だったので特にこの方面の研究を急いだらしく、出勤の途中でも、銭湯の中でも妙な放神状態で両手を動かして地拍子の取り通しであった。氏の居住地薬院附近では、これが名物だったので、道で遊んでいる子供等までも氏が来ると、
「斎田さん斎田さん」
と云って両手を鰭《ひれ》のように動かしながら反り身になって氏の背後から跟《つ》いて行って、氏が振返ると逃げて来た。現教授佐藤文次郎君などもその真似上手の一人であったという。
そんな次第であったから翁の門下の高足の人は、決して翁の歿後に福岡地方で流行したような我武者羅謡ではなかった。むしろ拍子の当りが確か過ぎるのを只圓翁が嫌って、今一層向上させるべく鞭撻《べんたつ》していたのを後人が、自分の力の足りなさから、自己流に解釈して、芸道を堕落させたものに相違ないのである。
以上は拍子嫌いの我儘流諸氏、もしくば地拍子天狗の諸氏にとっては共に不愉快な記事かも知れぬが、翁の歿後、翁の訓言が如何に強く響き残っていたかという例証としてここに掲げておく。
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