直規氏談)
◇
翁の謡には「三ツ地」も「ツヅケ」もないと誰かが云っていた事を記憶している。むろんその当時の筆者には「三ツ地」が何やら「ツヅケ」が何やら解らなかったが、翁の後までも生きていた囃子方の古賀幸吉氏や栗原伊平氏は、
「実に打ちよくて、大きくて気乗りがした」
と云っていた。
「拍子の当りなぞを気にかけるような謡は謡ではないぞ。能の本体はシテの面と装束じゃ。それを着けて舞うているシテの位取りを勘取って地謡が謡う。それを囃子方が囃すのじゃ。それじゃけに地謡は、いつも囃子方にこう打てと押え付けて行くだけの力がなくては勤まらぬものじゃ。力のある囃子方は時々自分の思う通りに位を取直そうとするものじゃが、そげな事をされるような地謡は舞台の上で腹を切らねばならぬ。間違うても囃子方の尻に付いてはならぬ」
と翁は度々山本氏等に云っていた。
◇
翁の歿後、右の言葉は直訳的に福岡の同流を風靡《ふうび》した傾向がある。同時に翁は間拍子のメチャメチャな所謂、我武者羅謡を推奨していたかのように誤解している間拍子嫌いの人も多かったらしいが、決してそんな事
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