節《ふし》を附けてもろうたらなあ」
 と云った。忠平氏は難しい註文とは思ったが、ともかくも翁にこの事を願い出ると、元来涙|脆《もろ》い翁は一も二もなく承諾して、自分で和吟の節を附けて忠平氏に教えてやった。(栗野達三郎氏談)

          ◇

 翁の愛婿、前記野中到氏が富士山頂に日本最初の測候所を立てて越冬した明治二十六年の事、翁は半紙十帖ばかりに自筆の謡曲を書いて与えた。「富士山の絶頂で退屈した時に謡いなさい」というので暗に氏の壮挙を援けたい意味であったろう。その曲目は左の通りであった。
 柏崎、三井寺、桜川、弱法師《よろぼうし》、葵上《あおいのうえ》、景清、忠度(囃子)、鵜飼《うかい》、遊行柳(囃子)
 野中氏は感激して岳父の希望通りこの一冊を友としつつ富士山頂に一冬を籠居したが、その時に「景清」の「松門謡」に擬した次のような戯《ざ》れ謡《うたい》が出来たといって、古い日記中から筆者に指摘して見せた。
「氷雪堅く閉じて。光陰を送り。天上音信を得ざれば。世の風声を弁《わきま》えず。闇々たる石窟に蠢々《しゅんしゅん》として動き、食満々と与えざれば、身心|※[#「骨+堯」、第4水
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