った。勝負事なんか無論であった。
◇
一面に翁はナカナカ器用だったという話もある。翁の門下で木原杢之丞という人が福岡市内荒戸町に住んでいた。余程古い門下であったらしく、翁が舞った「安宅」のお能を見たそうで、「方々は何故に」と富樫に立ちかかって行く翁の顔がトテモ恐ろしかった……とよく人に話していたという。
その木原氏の処へ翁が或る時屏風の張り方を習いに来た。平面の処や角々は翁自身の工夫でどうにか出来たが、蝶番《ちょうつが》いの処がわからないので習いに来たのであったという。
その時に翁は盃二三杯這入る小さな瓢箪《ひょうたん》を腰に結び付けて来ていたが、屏風張の稽古が一通りわかるとその瓢箪を取出して縁側で傾けた。如何にも嬉しそうであったという。(栗野達三郎氏談)
◇
明治二十八年頃知人(門下?)に大山忠平という人が居た。なかなかの親孝行な人で、老母が病臥しているのを慰めるため真宗の『二世安楽和讃』を読んで聞かせる事が毎度であった。
老母は大の真宗信者で且、只圓翁崇拝家であったが、或る時忠平氏に、
「お前の読み方では退屈する。只圓先生に
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