翁を促してサッサと席を立った。
 そのまま筆者の手を引いて帰る事もあった。
「老先生に対して済まぬという考えがない。あいつは下司《げす》下郎じゃ」
 という事をアトでよく云ったが、何の事やら誰の事やらむろんわからなかった。とにかく祖父は何もかも只圓翁を中心にして考えていたらしい。

          ◇

 そんな訳で筆者は九歳から十七歳まで十年足らずの間翁のお稽古を受けた。
 翁も亦そんな因縁からであったろう。筆者を引立てて可愛がってくれて、僅かの間にシテ、ツレ、ワキ役を通じて記憶《おぼ》え切れぬ位数多く舞台を踏ましてくれたものであったが、正直のところを云うと筆者は最初から終いまでお能というものに興味を持っていなかった。ただ子供心に他人から賞められたり、感心されたり、祖父母から、
「お能の稽古をせねば逐い出す」
 と云われるのが怖ろしさに、遊びたい一パイの放課後を不承不承に翁の処へ通っていたものであった。実に相済まぬ面目ない話であるが、実際だったから仕方がない。
 翁もこの点では気付いていたと見えて、筆者が翁の門口を這入ると、
「おお。よう来なさったよう来なさった」
 と云って喜んでくれた。別に褒美を呉れるという事もなかったが、ほかの子供達とは違った慈愛の籠った叮嚀な口調で、
「あんたは『俊成忠度』じゃったのう。よしよし。おぼえておんなさるかの……」
 といった調子で筆者の先に立って舞台に出る。
「イヨー。ホオーホオー。イヨオー」
 と一声《いっせい》の囃子をあしらい初めるのであるが、それがだんだん調子に乗って熱を持って来ると、翁の本来の地金をあらわしてトテモ猛烈な稽古になって来る。私もツイ子供ながら翁の熱心さに釣込まれて一生懸命になって来る。
「そらそら。左手左手。左手がブラブラじゃ。ちゃんと前へ出いて。肱を張って。そうそう。イヨオー。ホオーホオー。ホオ。ホオウ」
「前途程遠し。思いを雁山の夕の雲に馳す」
「そうそう。まっと長う引いて……イヨー。ホオホオ」
「いかに俊成の卿……」
「ソラソラ。ワキは其様《そげ》な処には居らん。何度云うてもわからん。コッチコッチ」
 といった塩梅で双方とも知らず知らず喧嘩腰になって来るから妙であった。

          ◇

 翁は筆者のような鼻垂小僧でも何でも、真正面から喧嘩腰になって稽古を附けるのが特徴であった。
 張扇
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