もしこの不況険悪の時勢に於て無用|不廉《ふれん》の事を起し一時の名聞《みょうもん》を求むるものとして一笑に附する人士が在ったならば、それは余りにも心なき人々として吾々は怨《うら》まざるを得ない。
 世道日々に暗く、功利の争塵刻々に深き今日、その反動として地方郷土の名士、有志の清廉高潔なる人士が陸続として苔下に喚起され、天日下に表彰されつつ有るは誠に吾国人固有の美徳、純情の泥土化していない事を証するものとして意を強うするに足るものがある。這般《しゃはん》の事業の国民精神に影響する事の如何に深遠なるものがあるかを疑い得ない次第である。
 況《いわ》んや、師恩の高大さを伝うるのは吾々門下の責務である。吾々が親しく翁より相伝した斯道の純志であり真面目である。その力及ばず。その能到らず。茲《ここ》に翁の霊前に叩頭して罪を謝し、大方の高助を得て翁の像を作り、蕪文を列ねて翁の伝を物し、翁の聖徳を涜《けが》す。ただこの高齢、高徳の士、不世出の国粋芸術家梅津只圓翁の真骨頂を世に伝えたい微衷に他ならない事を御諒恕賜わらば幸甚である。
 尚、この『梅津只圓翁伝』を物するに当って各方面から有力な材料、話柄、指導等を賜わった諸氏は一々列挙に暇《いとま》がない位である。更めて紙上を以て謝意を表する。

     梅津只圓翁銅像除幕式 (福岡日日新聞抜萃)

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 福岡黒田藩喜多流の先覚者梅津只圓翁の銅像除幕式は十四日(昭和九年十月)午前十一時より福岡市中庄只圓翁旧宅庭前に於て、翁の直孫牟田口利彦氏を始め武谷軍医官、梅津正利師範、旧門弟宇佐元緒、古賀得四郎氏以下多数参列の下に盛大に挙行せられた。
 修祓、降神行事に次で一同起立裡に直孫牟田口利彦氏の除幕あり、斎主後藤警固神社宮司の祝詞奏上、発起者代表古賀得四郎氏、縁故者牟田口利彦氏、常任理事佐藤文次郎氏、来賓総代武谷軍医監の玉串|奉奠《ほうてん》ありて、古賀発起人総代の挨拶、佐藤理事の工事報告、武谷軍医監の祝辞ありて正午閉式、引続いて祝宴に移り翁の逸話懐旧談に歓を尽し一時過ぎ散会した。因に同銅像は昨秋十月旧門弟一同発起となり一月着工、胸像は福岡県糸島郡出身彫塑家津上昌平氏の献身的努力により作製されたものである。
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     只圓翁銅像工事報告[#地から2字上げ]佐藤文次郎

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