いでどこかの室《へや》へ運んで行きました。
槍の穂先に取り囲まれた紅木大臣は、身動きも出来ぬようになりまして、棒のように突立ちながら歯切《はぎし》りをして、兵士の顔を睨みまわしていましたが、やがてその持っていた剣をカラリと床の上に取り落すと、そのまま高い暗い天井を仰いで、髪毛を一筋|毎《ごと》にビリビリと震わしながら――
「アーッハッハッハッ」
と高らかに笑い出しました。その気味悪さ。恐ろしさ。周囲《まわり》の兵士は思わず槍《やり》を手許《てもと》に控えて、タジタジとあと退《ずさ》りをしました。
けれども紅木大臣の笑い声は、なおも高らかに続きました――
「アッハッハッハッ。可笑《おか》しい可笑しい。こんな可笑しい事が又とあろうか。何という馬鹿馬鹿しい事だ。アッハッハッハッ、俺は今やっと思い出した。昔の名前を思い出した。俺の名前は美留楼《みるろう》公爵というのだった。何だ、馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい。アッハッハッ。
あれ、美留女が本を読んでいる。白髪小僧が居眠っている。アハ。アハ。何の事だ。俺はこのお話を本当の事かと思った。これ、美留女。止めろ。止めろ。そんな本を読むのを止めろ。あんまり非道《ひど》いではないか。あんまり情ないではないか。お前はそれを平気で読むのか。お父さまは最早《もう》聞いていられない。コレ。止めろ。止めろと云うに」
と云いながらよろよろと前の方によろめき出ましたが、濃紅姫の寝台《ねだい》に行き当って、又ハッと気が付きました。そうして寝台に倒れかかったままじっと濃紅姫の死体を見ていましたが、見る見るその眼は又|旧《もと》の通りに釣り上りました。
「エエッ。矢張り本当の事であったか。濃紅姫は死んだのであったか。よしそれならばこうして……」
と云う中《うち》に自分の外套を脱いで、濃紅姫の死体をクルクルと巻いたと思うと、肩に荷《かつ》ぐが早いか一散にこの室《へや》を走り出ました。これを見ると火のように怒った藍丸王はそのあとから叫びました――
「ソレッ。あの家の者を鏖《みなごろし》にしてしまえ。あとは火を放《つ》けて焼いてしまえ」
二十四 生首の言葉
一方青眼先生は、一旦《いったん》はすっかり気絶して終《しま》って、何も解からなくなっていましたが、やがて自然と気が付いて見ますと、どうでしょう。最前自分は藍丸王の眼の前で、紅木大臣に蹴られて気絶していた筈なのに、今は王宮の内のどこかの室《へや》で、見事な寝台《ねだい》の上に寝かされて、傍には最前縛られていた四人の宮女が控えております。そうしてなおよくあたりを見まわしますと、自分の枕元には藍丸王がニコニコ笑いながら立っていまして、その背後《うしろ》には宮中の凡《すべ》ての役人が星のように居並んで、自分に向って敬礼をしている様子です。青眼先生はこの有様を見て何事かと驚きまして、慌てて寝台の上から辷《すべ》り降りて床の上にひれ伏しますと、王はその肩に手を置きまして、
「オオそんなに恐れ入るには及ばぬ。俺は今までのお前の罪を許したのだぞ」
これを聞くと青眼先生は床の上にひれ伏して、恐れ入って申しました――
「ハイ。有り難い事で御座います。私はもうその御言葉を承りました以上は明日《あす》死んでも少しも心残りは御座いませぬ。私の心がおわかり遊ばしますれば、何で私が王様の御心《みこころ》に背《そむ》き奉りましょう。何卒《どうぞ》今日までの私の無礼の罪は、平に御赦し下されまするよう御願い致します」
と誠意《まごころ》を籠《こ》めて申しました。藍丸王も如何にも嬉しそうに――
「ウム。お前の罪は女王の言葉ですっかり許したから安心をしろ。女王は今居間で養生をしている。そうして世界中で本当の自分を知っている者はお前ばかりだと喜んで泣いているのだ。そうして今日お前の女王に尽した忠義の褒美《ほうび》に、女王は今からお前をこの国の総理大臣にしてくれと云ったぞ」
と思いもかけぬ御言葉です。青眼先生はあまりの不意な御言葉に驚いて、夢に夢見る心地で叫びました――
「エッ。私をあの総理大臣に。そ……それは王様、私のようなものには」
「黙れ。もう俺《わし》の云う事には背かぬと、たった今云ったではないか。この心得違い者|奴《め》が。貴様も矢張り紅木大臣のような眼に会いたいのか」
と忽《たちま》ち王は最前のような恐ろしい顔に変りました。
「エエッ。そして紅木大臣はどう致しましたか」
「ハハハハハ。紅木大臣がどんなになったか見たいのか。よし。それではお前は直ぐ紅木大臣の家へ行って、どんなになったか見て来い。そうして女王に無礼をする奴は親でも兄弟でも誰でも皆、こんな眼に会うのだという事をよく覚えて来い」
と言葉厳しく申し付けました。
このお言葉を聞くと一緒に青眼先生は、王が最前蛇を見せた時の事を思い出して、思わずゾッと身震いをしました。そうして直ぐに独りで王宮を出まして、急いで紅木大臣の家へ行って見ましたが、来て見るとどうでしょう。今まで深く茂った大きな常磐木《ときわぎ》の森の間に、王宮と向い合って立っていた紅木大臣の邸宅《やしき》は住居《すまい》も床も立ち樹もすっかり黒焦《くろこげ》になってしまって、数限りなく立ち並んだ焼木杭《やけぼっくい》の間から、白い烟《けむり》が立ち昇っているではありませぬか。そうして玄関のあたりに大臣夫婦は手も足も切り離されて、方々焼け焦げたまま、眼も当てられぬ姿になって倒れております。
青眼先生は震える手で、その手足を集めて見ましたが、最早何の役にも立ちませんでした。大臣夫婦の死体は最早切れ切れに焼け爛《ただ》れて、とても青眼先生の力では助ける事が出来ませんでした。
青眼先生は余りの事に声を立てて泣き出しました。そうしてもしや一ツでもいいから助かりそうな死骸は無いかと、暗《やみ》の中に散らばっている死骸を一ツ一ツに検《あらた》めながら、奥の方へ来る中《うち》に、不図青眼先生は屋敷の真中あたりで、切れるように冷たい者を探り当てて、ヒヤリとしながら手を引《ひ》き退《こ》めました。それは鉄と氷との二ツの死骸でしたが、薄い月の光りはその物凄い白と黒の二ツの姿を照して、何だか両方とも青眼先生を睨んでいるように思わせました。
青眼先生は思わずタジタジとあと退《ずさ》りをしました。そうして二ツの死骸をじっと見入りました。すると不思議や、青眼先生の直ぐうしろに寝ていた一ツの首が、白い眼を開いて月の光りを見ながら、唇をムズムズと動かし始めましたが、やがて不意に――
「嘘|吐《つ》き」
と云いました。青眼先生はハッと驚いて背後《うしろ》をふり向きますと、うしろにはたった今|検《あらた》めた馬丁《べっとう》の死骸があるばかりで、しかも手も足もバラバラになっているのですから、口を利く気遣いはありませぬ。先生は大方耳の迷いだろうと思って、ここを立ち去ろうとしますと、今度は別の死骸の、身体《からだ》から離れて転がっている首級《くび》が、眼をパッチリ開いて、月あかりに先生の顔をジッと睨みながら――
「不忠者」
と叫びました。青眼先生は身体《からだ》中が痺《しび》れる程驚いて、立ち竦んでしまいますと、今度は四方八方の死骸の首が、一時に眼を見開きまして、方々から青眼先生を睨みながら、口々に罵り始めました――
「不忠者」
「紅矢を殺した」
「濃紅を殺した」
「美紅を殺した」
「女王に諛《へつろ》うた」
「紅木大臣を殺させた」
「紅木大臣の位を奪った」
「悪魔の王の家来になった」
「俺達までも皆殺させた」
「そして自分独り生きている」
「悪魔のために尽している」
「忠義に見える不忠者」
「善人のような悪人」
「卑怯な浅墓な」
「藪医者の青眼|爺《じじ》」
「貴様のために殺された」
「沢山の死骸を見ろ」
「俺達はこの恨みを」
「屹度《きっと》貴様に返して見せる」
「死ぬより苦しい眼を見せるぞ」
「生きられるなら生きて見ろ」
「死なれるなら死んで見よ」
「覚えておれ」
「覚えておれ」
こう云って口々に罵る声が次第に高くなって来て、しまいには耳の穴が裂けてしまう程烈しくなりました。青眼先生はまるで氷の中に埋められたように、身体《からだ》中がブルブルと震え出して、眼が眩んで倒おれそうになりましたが、やっと一生懸命の勇気を奮い起こして――
「お前達は皆間違っている。私は一人も殺しはせぬ。私はこの国の秘密を守るため……宮中に出入りして悪魔の正体を見届けるため……そのために総理大臣になったのだ。それも自分からなったのではない。王様が無理になすったのだ。紅木大臣をこんな目に合わせたのは私ではない……王様でもない……」
こう申しますと、沢山の生首は一時に口を揃えて――
「そんなら誰だ」
と申しました。
青眼先生は云おうとして云う事が出来ずに、ワナワナと戦《おのの》きながら身のまわりを見まわしますと、沢山の生首が皆一心に自分を見つめて、今にも飛びかかりそうにしています。そうしてその真中の自分の足下《あしもと》には鉄と氷の二タ通りの死骸が虚空を掴んで倒れたまま、これも自分を睨んでいます。青眼先生はその氷の死骸を指して――
「ココココココ……此奴《こいつ》だ」
と叫ぶと一所に力が尽きて、ウーンと云って気絶してしまいました。
するとこの時又もや耳の傍で不意に――
「青眼総理大臣閣下へお祝いを申し上げます」
と云う声が聞こえましたから、誰かと思ってフッと眼を開きますと、こは如何に、最前から見たのはすっかり夢で、自分はちゃんと旧《もと》の寝台《ねだい》の上に寝たままでした。そうして寝台の周囲には最前の通りに御殿中の大勢の役人共が集まっておりました。
その役人共は青眼先生が眼を覚ますのを見るや否や、皆一時に手を挙げ頭《かしら》を下げて――
「総理大臣公爵青眼閣下。御祝いを申し上げます」
と口々に申しました。これを見た先生は呆気に取られてしまって、どこからが夢で又どこからが本当なのか、いくら考えてもわかりませんでした。そうしてこれはあまりいろいろの心配をするために、気持ちが変になっているのではあるまいかと思いました。けれども斯様《かよう》に役人が大勢集まって、口々にお祝いの言葉を云うところを見ると、自分がこの国の総理大臣になった事だけは、どう考えても本当で、疑う事が出来ませんでした。
二十五 止まらぬ花馬車
一方、気が狂った紅木大臣は、濃紅《こべに》姫の死骸を荷《かつ》いだまま、一息に廊下をかけ抜けて、馬にも乗らず真一文字に、自分の家《うち》に帰り着きました。そうして門を這入るや否や、玄関の横に置いてあった昨日《きのう》の花馬車の中に、濃紅姫の死骸を外套に包んだまま放り込んで、それから廏へ行って名馬の「瞬」を引き出して、自身に馬車に結び付けると、いきなり鞭をふり上げて――
「もとの世界へ帰れ」
と叫びながら、尻ペタを千切れる程殴り付けました。
馬は驚いて棹立《さおだ》ちになって、驀然《まっしぐら》に表門を駈け出しますと、丁度そこへ王宮から、紅木大臣を追っかけて来た兵隊が往来一パイになって押し寄せて、一度に鬨《どっ》と鯨波《ときのこえ》を挙げました。馬は益々驚いて、濃紅姫の死骸を載せた馬車を引いたまま大勢の兵隊の真中に駈け込んで、逃げ迷うものを蹴散らし轢《ひ》き倒して、あれよあれよという中《うち》に往来を向うの方に疾風のように駈け出しました。
「それッ。今の馬車には誰か乗っていたぞ。一人も残さず殺してしまえ。逃がすな。余すな。追っかけろ」
と四五人の兵士が怒鳴りましたが、何しろこの国第一の名馬「瞬」が夢中になって駈け始めたのですから、迚《とて》も人間の足の力では追い附く気遣いはありませぬ。砂埃《すなぼこり》と蹄の音を高く揚げながら、千里一飛びという勢いで都の南の端にある青物市場へ一目散に飛び込みました。さあ大変だと大勢の人々が逃げ迷う間《ま》もなく、往来に積み重ねてある野菜や果物の籠を踏み散らし蹴飛ばして、雨か霰《あられ》のように馬車に浴びせ
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