を見ると、どうでしょう。一晩夜《おととい》の晩氷になってたった今まで石神の前に置いてあった、あの美紅《みべに》姫に寸分|違《たが》わぬではありませんか。
 悪魔、悪魔と思い込んで来た紅木大臣も、これを見ると今更に、吾れと吾が眼を疑って呼吸《いき》も出来ぬ位固くなってしまいました。そうして眼を皿のようにして女王の姿を見詰めていました。
 女王は髪を藻のようにふり乱し、顔の色は真青になって、震える唇を噛み締め噛み締め、はふり落ちる涙を拭いもせずに、青眼先生の顔をふり仰いでおりましたが、忽ち血を吐くような声をふり絞って叫びました――
「青眼先生。教えて下さい。これは夢でしょうか。本当でしょうか」
 すると青眼先生は女王の顔を穴の開く程見ながら、落ち付いた力強い声で答えました――
「夢だか本当だかは女王様のお言葉に依って定《き》まります。何卒《どうぞ》、何事も包まずに、私にお話し下さいませ。私は只今王様からの御使者《おつかい》を受けまして、女王様が今朝《けさ》濃紅《こべに》姫の御逝《おかく》れになった御姿を御覧になると直ぐに、恐れ多い事ながら気が御狂い遊ばして、あるにあられぬ奇妙な事ばかり仰せられるとの事。それで私の今までの罪を赦すから、直ぐに女王の病気を見に来るようにとの、有り難い御言葉を承りまして、取るものも取り敢えず参いった次第で御座います。ところが只今女王様の御姿を拝しますると、女王様は決してそんな忌《いま》わしい御病気におなり遊ばしたのでは御座いませぬ。そして私はそれよりもずっと驚きましたのは、女王様がどうして生きてここにおいでになるかという事で御座います。何をお隠し申しましょう。昨日《きのう》の朝女王様がまだ美紅姫で入《い》らせられる時に、私はたしかに女王様を殺しました。その女王様がここにこうして生きておいでになろうとは、私は夢にも存じませんで御座いました。何《なん》に致してもこれには何か深い仔細がある事と思います。私は、決して女王様の御言葉を御疑い申し上げませぬ。さあ、女王様。決して御心配には及びませぬ。女王様が、その石神の夢を御覧遊ばしてからどうなされましたか、詳しく御話し下されませ。石神の話はこの国の秘密の話で、これを聞いた者は、その話しの中に居る悪魔に取り憑《つ》かれると、昔から申し伝えて御座います。私は今日までその悪魔を固く封じておりましたが、それがいつの間にか逃れ出て、女王様に取り憑いたと見えまする。こうなれば王様と女王様には、秘密に致す要も御座いませぬ。却《かえ》ってその秘密を破って、何も彼《か》も御話し下されました方が悪魔を退治るのに都合がよろしゅう御座います。ここには仕合わせと王様と私より他に聞いているものは御座いませぬ。何卒《どうぞ》御構いなく御話し下さいませ。決定《きっと》女王様の御心の迷いを晴らして、悪魔を退治て差し上げましょう」
 と云いながらも女王の手をしっかりと握り締めました。女王は最早《もう》立っている力も無くて床の上に頽折《くずお》れました。そうして――
「ハイ。何卒《どうぞ》聞いて下さい。そうしてよく考えて妾《わたし》を助けて下さい」
 と云いながら、涙を拭い拭い言葉を続けました――
「妾はあの夢を見てから後《のち》は、明け暮れ自分の室《へや》に閉じ籠もって、美留女《みるめ》姫であった昔が本当か、今の美紅の身の上が本当か考えましたが、どうしても解りませんでした。そうしてこれが解からぬ内は、何をしても張り合いがないような気がして、誰に何と云われても何も為《す》る気になりませんでした。紅矢……兄様のお怪我も……濃紅姉様の身の上も……何だか……夢のような気がしていたので御座います。
 すると丁度そのお兄様がお怪我遊ばした日の事、妾は青眼先生がお出でになるという事を聞き、扉の隙間からソッと覗いていましたが、前をお通りになる先生の御姿を一目見るや否や、妾は扉をしっかり閉じると、そのまま気絶してしまいました。青眼先生は妾の思い通り、あの夢の中で、妾を悪魔だといって殺そうとしたお方で御座いましたから、もし見付かったらどうしようと思ったからで御座います。
 それからどれ程位の間気絶したままでいましたものか、不図気が付いて見ますと、時分は丁度真夜中で、妾はいつの間にか戸棚の中に突立っています。そうして戸棚の扉の鳥の形をした透《すか》し彫《ぼ》りが、丁度眼の前に見えます。
 妾は暫くの間は何事かわからずに、ぼんやりと鳥の透し彫りから洩れて来るラムプの光りを見詰めたまま突立っておりました。もしやこれはまだ本当に眼が醒めずに、夢を見ているのではないかと思いました。ですから妾はよく心を落ち付けて、眼をしっかりと見開いて、鳥の透し彫りから覗いて見ました。そうして室《へや》の中に灯《とぼ》れている丸|硝子《ガラス》の行燈の、薄黄色い光りで向うを見ますと、妾は自分の眼を疑わずにはおられませんでした。妾の寝台《ねだい》の上には、妾の寝巻を着た、妾そっくりの女が、平然《ふだん》妾がする通りに髪毛《かみ》を寝台の左右に垂らして、スヤスヤと睡っているでは御座いませんか……ハッと驚いて自分の着物を探って見ますと、どうでしょう。妾の着物はいつの間にか、奇妙な男の着物とかわっていたので御座います」
「貴女そっくりの女。そうして貴女は男の着物……」
 と青眼先生は魘《おび》えたような声で申しました。

     二十三 自分の寝姿

 外に立っている紅木大臣も、この時両方の拳《て》も砕けよと握り締めましたが、女王も亦《また》恐ろしくて堪《たま》らぬように、身を震わして答えました――
「ハイ。昨日《きのう》海の女王と名乗って、お眼見得に来た時の姿と同じ男の着物でした」
「してそれから貴女《あなた》はどうなされましたか」
「妾はあまりの不思議に身動き一つ出来ず、自分の寝姿を見詰めていました。そしてその中《うち》にどちらが妾なのかわからなくなりました。妾が美紅《みべに》か、向うが美紅か。妾が美紅ならばあの眠っているのは誰であろう。睡っているのが美紅ならば、この醒めている妾は何者であろう。もしや妾が何かの魔法で、二人にされているのではあるまいか。それでなくてこんなによく肖《に》ている筈はない。それとも身体《からだ》が向うに残って、心がこちらにあるのではあるまいか。それならばこの身体は誰の身体であろう。又は心が向うに幽霊になって抜け出して現われているのであろうか。それならばこの心は誰の心であろう。どちらが本当であろう。どちらが嘘であろう。両方とも本当か。両方とも嘘か。向うとこちらは別か一所か。もしや眼の迷いではあるまいか。心の迷いではあるまいか。それとも夢かまぼろしかと、すっかり迷ってしまいまして、今にも太陽の光りがさし込んで来たらば、妾は消え失せてしまうのではないか。それでなくとも、このまま戸棚の外に出たならば、直ぐに眼が覚めるのではあるまいかと、迷って、恐れて、震えて、立ち竦んでおりますと、不意に窓の外に人の来る気はいがしました。
 妾はこの時何だか自分の身の上に、怖ろしい事が起りかかっているように思われて、恐ろしさの余り呼吸《いき》を吐《つ》く事も出来ませんでした。そうして戸棚の中から一心に、窓の処を見つめておりますと、間もなく窓からそっと顔を出して中の様子を見た人がありました。それが青眼先生、貴方でした」
「あっ。それではあの時貴女は戸棚の中から見ておいでになりましたか」
 と青眼先生は呼吸《いき》を機《はず》ませて尋ねました。
「けれどもその時の恐ろしかった事。扨《さて》は青眼先生はいよいよ妾がこの家に居る事がおわかりになって、この間の夢の中で銀杏の葉の袋を切り破った時と同じように、妾を矢張り悪魔と思って、殺しにおいでになったに違いない。それにしても青眼先生は、あの寝床の中の美紅を妾と思ってお出でになるのであろうか。それとも妾がここに隠れているのを御存じなのであろうか。どちらを御殺しになるであろうと、息を殺して震えながら見ておりました」
「噫《ああ》。私はあの時|寝台《ねだい》の中の女を悪魔だと思い込んで殺したので御座いました。この国の秘密を守るため。王様のため。国のため」
 と青眼先生は吾れを忘れて叫びました。
「ハイ。けれどもそれは大変な間違いで御座いました。貴方が悪魔と思ってお殺しになった女は、悪魔でも何でもない美紅姫で、かく云う妾こそ悪魔で御座いました。妾はその時から美紅姫では御座いませんでした」
「エ。エ。エ」
 と青眼先生はよろよろとあと退《しざ》りをして、屹《きっ》と身構えをして女王の顔を穴の明く程見詰めました――
「女王様。貴女は本当に気がお狂い遊ばしたので御座いますか」
「イエイエ。少しも狂いませぬ。又嘘も申しませぬ。妾こそ悪魔で御座いました。美紅姫にそっくりそのままの姿をした悪魔で御座いました」
「ウーム」
 と青眼先生が両方の手を石のように握り固めながら、女王の顔を睨み詰めますと、室《へや》の外の紅木大臣も、思わず刀の柄に手をかけて身構えました。けれども女王は騒ぎませんでした。落ち付いて床の上に座ったまま、青眼先生の顔を仰いで話しを続けました――
「御疑いになるのも御尤《ごもっと》もで御座います。本当は妾もまだその時の疑いが晴れませぬ。ですからこのように打ち明けてお話しをするので御座います。本当の事を申しますと、妾はあの時貴方にあの毒薬を注ぎかけられて、氷になってしまった方が仕合わせで御座いました。なまじいに生き残ったために、妾は悪魔に魅入られた女になってしまいました。
 あの時あの少女が悪魔と呼ばれて眼をさまして、『妾は美紅です。この家の娘です』と叫ぶ間もなく、青眼先生から毒薬を注ぎかけられてたおれました時、妾は自分の身体《からだ》の血が凍ったように思って、心も身体《からだ》も一所に消え失せたと思いました。けれども間もなく又ふっと気が付きますと、不思議やその時妾の心は、今までとすっかり違って、世にも恐ろしい女の心と入れかわっておりました。妾はその時から今朝《けさ》まで、美紅姫でも何でもない――多留美という湖の近くに住む、藻取という者の娘で、美留藻《みるも》という女――美紅姫と同じように夢の中で美留女姫となって、白髪小僧と一所に銀杏の葉に書いた石神のお話を読んだ女――湖の底に鏡を取りに行ったまま、行衛《ゆくえ》知れずになった女そのままの美留藻になっておりました。そしてそれと一所に、妾はたった今まで美紅姫であった事を忘れてしまって、貴方が美紅姫の死骸を残して、窓から出てお出でになると直ぐに、戸棚の扉を開いて外に出まして、眼の前の寝台の上に横たわっている、美紅姫の氷の死骸を見ると、思わず莞爾《にっこり》と笑いました。そして先ずこれで美紅は死んだ。あとは明日《あす》のお眼見得の式で濃紅姫に勝ちさえすれば、妾は間違いなく女王になれると思いました。
 青眼先生。妾は全く恐ろしい女で御座いました。悪魔よりももっと無慈悲な女で御座いました。初め妾が夢の中で美留女でいる時に、銀杏の根元で拾った書物《かきもの》に、妾が女王になった挿し絵があるのを見ますと、妾は急に女王になりたくなりました。それと一所に石神のお話の続きも見とう御座いました。つまり夢の中で見た美留女姫の心を、眼が覚めてからも忘れる事が出来なかったので御座います。そうして眼が覚めて後《のち》赤い鸚鵡だの、宝蛇だの、水底《みずそこ》の鏡だのを見ますと、いよいよあの夢は本当の事に違いないと思いまして、どんな事をしても構わないから、あの夢の通りに自分の身の上をして仕舞おうと思いました。それから妾は親を棄て、夫を捨てて只一人、女王になるために都に向いました。
 妾はそれから女王になるためにいろいろな悪い事を致しました。
 青眼先生。この間紅矢様が大怪我をなすった時、初めに先生が御覧になった紅矢様は、本当の紅矢様では御座いませぬ。妾が紅矢様の馬と着物を詐欺《かた》り取って、紅矢様に化けて来ていたので御座います。それから二度目の時は、妾が『瞬』に乗って、紅矢様のお
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