んでしまいたい。
噫。藍丸の国の秘密は灰になった。美紅姫の心の秘密は氷になった。紅矢の拳固の秘密は鉄になった。私の役目の秘密は何になるであろうか。石か。木か。水か。土か。何でもよい。早く青い眼、青い髪の男に出会って、この秘密を譲って、この恐ろしい役目を忘れたい」
青眼先生の独り言の中《うち》には次第に不思議な言葉が、いくつもいくつも出て来ました。けれどもここまで云って来ました時、青眼先生は唇を閉じてじっと窓の外の遠い処を見ました。そこには絵のように美しい藍丸王の宮殿が見えて、そこから又もや最前よりもずっと賑《にぎ》やかな音楽の響が聞こえて来ました。これはいよいよお目見得の式がはじまるという前兆《まえし》らせでした。
二十 海の女王
この日御目見得に来た女は都合六人ありました。その内四人は、東西南北の四ツの国から、一人|宛《ずつ》選《よ》り抜かれて集まった女で、皆|各自《めいめい》の国の自慢の冬の風俗をしておりました。北の国の女は、美事な獺《かわうそ》の皮の外套を着ておりました。南の国の女は、水鳥の毛で織った上衣を着ておりました。東の国の女は、空色の絹の裾を長く引いておりました。そうして西の国の女は、夕陽のように輝やく緋色《ひいろ》の肩掛けを床まで波打たせておりました。この四人は皆四つの国々の中で、一等利口な一等美しいお姫様でしたが、併し他の二人の美しさに比べますと、まるでお月様と亀如《すっぽん》程違っておりました。
他の二人は濃紅《こべに》姫と美留藻《みるも》でした。
濃紅姫は、最前家を出た時の通り白い着物の上に黒狐の外套を重ねて黄薔薇の花籠を手に持っていましたが、その何となく悲し気な気高い優しい姿は、他《た》の四人の女達と一所に置くのも勿体ない位に思われました。けれども今一人はこれと違って、大きな金剛石《ダイヤモンド》の鈕《ぼたん》を着けた紫色の男の服に華奢《きゃしゃ》な銀作りの剣を吊るして、頭《かしら》に冠《かむ》った紫色の帽子には白鳥の羽根を只一本|挿《さ》していました。そうしてどうした訳か、その上衣の上から第一番目の鈕は他《た》の金剛石《ダイヤモンド》と違って一輪の大きな白薔薇を付けていましたが、それが又誠によく似合って、眩《まぶ》しい位|凜々《りり》しく華やかに見えました。
この珍らしいお目見得の式を見に来ていた国々の貴い人々は、皆二人の美しいのに驚いて、神様か人間かと怪しみまして、一体どこにこんな美しい姫君が居たのであろうと怪しみました。けれども又その中に、皆が怪しみ驚いたよりもずっと驚いて、世の中にこんな不思議な事が又とあろうかと、吾れと吾が眼を疑っていた人がありました。それは他でもない濃紅姫でした。
濃紅姫はこの時までまるで夢中でいたのでした。お母様に抱き締められ、お父様に引き離されて王宮に来て、何が何やら解からず、泣く事も出来ずぼんやり立っていたのでしたが、この男姿の少女を一目見ると、ハッとばかりに驚いて、思わず声を立てるところでした。そうしてこれは本当に夢ではあるまいか。美紅《みべに》はどうしてここへ来ているのであろう。あの姿はどうしたのであろう。もしや妾《わたし》の眼の迷いではあるまいかと思いましたが、併し眼の迷いでも何でもありませんでした。顔色は常よりも紅《べに》をさして、姿も男の着物こそ着ておれ、あの紫に渦巻いた髪の毛。あの屹《きっ》と王様を見詰めている眼付。キリリと結んだ口もと。どうしても美紅にそっくり……これはどうした事であろう。他人の空似にしてはあまりよく似過ぎていると、呆れて穴の明く程その横顔を見ておりました。すると、この時その少女が、六人の中からズカズカと前に進み出て、王様の前に恐れ気もなく近寄りました。そうして帽子を取って最敬礼をしますと、やがて銀の鈴を振るような声で挨拶を致しました。
「王様。妾《わたし》はこの国の南の海の底にある海の国の女王で御座います。この度の王様の御布告《おふれ》を家来の蟹奴《かにめ》から承りまして、御恥かしながら海の底から、はるばると御目見得に参ったもので御座います。妾はこれまで参りますのに、誰も従《つ》いて来る者が御座いませぬから、旅を致すのに都合のよいように、こんな男子《おとこ》の姿を致して参りました。こんな勝手な風采《なり》を致しまして、陸の大王様に御目見得に参りました失礼の程は、何卒《どうぞ》御許し下さいまし。そうして御目見得の印に持って参りました、この宝石の少しばかりを御受け収め下されましたならば、妾はもとより海の底の国人《くにひと》も皆、王様の広い御心に対して、はるかに御礼を申し上げる事で御座いましょう」
と云いながら、懐中から海の藻の一掴みを出して高く捧げましたが、その中から大きな紫色の金剛石《ダイヤモンド》の光りが虹のように輝き出て、さしもに広い大広間中に照り渡りました。
集まっていた人たち皆、この有様に眼も心も奪われて、酔うたようになってしまいました。そしてその場でその少女はお后に定《き》まりましたが、又濃紅姫の閑雅《しとやか》な美しさも藍丸王の御眼に留《と》まって、王様のお付の中《うち》で一番位の高い宮女として宮中に置く事に定《き》まり、又|他《た》の四人の女も王様のお側付となって、直ぐにその日から御殿に留《とど》まる事になりました。
けれども濃紅姫は自分がどんな役目をうけているか、自分の事を人々がどんなに評判をしているか、そんな事は少しも気にかける間《ま》がありませんでした。只一心に海の女王と名乗る少女の姿に見とれて、呆れに呆れておりました。ところがその中《うち》に不図《ふと》濃紅姫は、恐ろしい事を思い出して、思わず身ぶるいをしました。「この少女はもしやあの、悪魔とかいうものではあるまいか。紅矢兄様は御病気の時、悪魔が美紅に化けていると仰《おっ》しゃった。あの悪魔がこの女王ではあるまいか。それでなくてもし美紅ならば、妾の前に来てあんなに平気でいられる筈はない。そしてもし美紅でもなく又悪魔でもないとすれば、あのように、姿から声から髪毛の縮れ工合まで、美紅に似ている筈はない。悪魔。悪魔。悪魔に違いない。美紅に化けて兄様に大怪我をさせて、今度は海の女王に化けてこの国の女王になりに来たのか。事に依るとこの妾を咀《のろ》うて、妾が女王になるのを邪魔しに来たのかも知れぬ。それに違いない。それに違いない。吁《ああ》。妾の家《うち》はどうしてこんなに悪魔と縁が深いのであろう。何という執念深い悪魔であろう」
こう思うと濃紅姫は、今まで美しい妹そっくりの少女であった男姿の海の女王が、角《つの》を生《は》やして口が耳まで裂けた悪魔の姿に見えて来て、恐ろしさの余り気が遠くなりそうになりました。そうしてその海の女王が、王様の傍近く進み寄って、女王の冠を戴いているのを見ると、さしもの大広間が大勢の人々と共にぐるぐるとまわるように思われました。そしてやがて皆の者が、一時に手を挙げ足を踏み鳴らして――
「陸の大王様万歳!」
「海の女王様万歳!」
と割れるように叫びますと、濃紅姫は思わず声を挙げて――
「海の女王は悪魔です」
と叫びましたが、可愛そうにその声は大勢の声に打ち消されてしまいまして、それと一所に濃紅姫は、あまりの恐ろしさに気絶して、床の上にたおれてしまいました。
二十一 死の夢
それから何日経ったか、何時間経ったか知りませぬが、濃紅姫は不図《ふと》気がついて眼を開いて見ますと、自分はいつの間にか、今まで見た事もない美しい室《へや》の真中に寝台《ねだい》を置いて、その上に白い布団に包《くる》まって寝かされております。そうして頭の上に灯《とも》った絹張りの雪洞《ぼんぼり》から出る蒼白い光りで見ると、自分の左右には、御目見得の時に居た四人の女が宮女の姿をして、自分の介抱をしながら寝台の縁によりかかって、四人共いぎたなく睡《ねむ》っている様子です。
濃紅姫はまだ夢を見ている気で、又眼を閉じてスヤスヤと眠りました。するとこの時に寝台の蔭から一匹の蛇が宝石の鱗《うろこ》を光らせながらぬらぬらと這い上りました。そうしてスヤスヤと眠りに落ちている姫の懐《ふところ》に這い込んで、玉のようにふくらんだ乳房の下を静かに吸い初めました。そうして間もなく腹一パイに血を吸いますと、口からポタポタと吐き出しましたが、その血は皆燃え立つような紅玉《ルビー》になって、サラサラと濃紅姫の胸から寝床や床の上に転がり落ちました。こうして吸っては吐《は》いて、何度も繰り返す内に、濃紅姫の身体《からだ》は、まるで宝石に埋まったようになってしまいました。
この時濃紅姫はスヤスヤと眠りながら不思議な夢を見ておりました。
その夢はいつか知らず濃紅姫が睡っている時に、どこか遠い遠い処で歌を謳《うた》う声が聞こえて来ました。その声は如何にも清く美しくて、自分の妹の美紅姫の声によく似ておりましたから、濃紅姫は不思議に思いまして、どこで謳っているのであろうと、耳を聳《そばだ》てて聞いておりますと、その声はだんだん近くなってつい直ぐ隣りの室で謳っているようで、しかもその歌は美紅姫が謳っているのでなく、この間紅矢兄様が王宮に差し上げた、あの赤い鳥の為業《しわざ》だという事がわかりました。その歌はこうでした。
「扨《さて》もあわれや濃紅姫。
扨も悲しや濃紅姫。
親兄弟に生きわかれ、
又死にわかれ泣きわかれ。
花の冠戴いて、
花の束をば手に持って、
花で飾って馬車の中、
身は生きながら葬《とむら》いの、
姿となった濃紅姫。
藍丸国の王様を、
慕《した》う心の一すじに、
今日のお目見得来て見れば、
藍丸王のお后は、
自分でなくて妹の、
美紅か悪魔か海の魔か。
今王宮の奥深く、
ひとり静かに眠る時、
熱い涙が眼に湧いて、
右と左にハラハラと、
流れ落ちるは夢ながら、
夢ではないという証拠。
夢の中なる夢を見て、
夢とは知らぬ現《うつつ》にも、
つらい悲しいこの思い。
われから迷う身の行衛《ゆくえ》、
知っているのは世の中に、
赤い鸚鵡の他にない。
世に美しい柔順《おと》なしい、
女の中の女とも、
見ゆる濃紅が何故《なにゆえ》に、
王の后になれないか。
美紅か悪鬼《あくま》か王様の、
后になったは何者か。
知ってる者は他にない。
黒い海には波が立つ、
青い空には雲が湧く、
昔ながらの世の不思議、
今眼の前に現われた、
赤い鸚鵡の他にない」
濃紅姫はこの歌を聞きながらソロソロと起き上って、隣りの室《へや》の戸口に来て、なおも耳を澄ましていますと、たった今まできこえていた鸚鵡の歌はピタリと止みまして、室《へや》の中に人の居る気はいも為《し》ませぬ。
そうして思いもかけぬ後《うし》ろから、そっと姫の肩に手をかけた者がありますから、ハッとしてふりかえって見ますと、それは懐かしい藍丸王でありました。王は親切に姫の手を執《と》って――
「お前はもうすっかり気分はよいのか。昨日《きのう》の朝お前が気絶した時、俺《わし》は随分心配したが、最早すっかり治ったのか。それは何より嬉しい事だ。では最早《もう》夜が明けたから二人で花園に散歩に行こうではないか」
と仰せられます。濃紅姫は不思議に思って、今は冬で御座いますから何の花も御座いますまいと申しますと、王様は御笑いになって、まあ来て見るがいいと無理に姫を花園に連れておいでになりました。
来て見るとこれは不思議――春秋の花が一時に咲き揃って、露に濡れ旭《あさひ》に輝やいていますから、濃紅姫は呆れてしまって、恍惚《うっとり》と見とれていますと、王様はニコニコお笑いになりながら――
「どうだ、濃紅姫。俺《わし》が咲かせようと思えば花はいつでもこの通りに咲くのだ。併しお前に聞いて見るが、お前はこの沢山ある花の中で、どの花が一番好きなのか。赤か。青か。黄色か。それとも白か。黒か」
とお尋ねになりました。
濃紅姫は暫く返事に困って考えていま
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