生れ付きお話が大好きで、毎日一ツ宛《ずつ》新しいお話を聞かねばその晩眠る事が出来ないのが癖《くせ》であった。姫の両親《ふたおや》はそのために、毎日毎日新しいお話の書物を一冊|宛《ずつ》買ってやったが、今は最早《もはや》その書物が五ツの倉庫《くら》に一パイになってしまった。この上にはどこの書物屋を探しても、今までと違った新しいお話の書物は、一冊も無いようになってしまった。
 ところがここに一ツ困った事には、この美留女姫は大層|物憶《ものおぼ》えがよくて、どんなに古く聞いた話でも少しも間違わずにはっきりと記憶《おぼ》えていて、初めの二言三言聞けばすぐにあとの話を皆思い出してしまうから、古い書物を二度読んで聞かせる訳には行かなかった。それかといって、この上に新しいお話は世界中に只の一ツも無いのだから、姫は毎日毎晩新らしいお話が聞きたくて聞きたくて夜もおちおち眠る事が出来なかった。
 けれども姫は両親《ふたおや》にこの事を話すと、却《かえっ》て心配をかけると思ったから、毎晩|故意《わざ》とよく眠ったふりをして我慢《がまん》しながら、どうかして新しい珍らしいお話を聞く工夫はないかと、そればかり考えていた。
 ところが或る日の朝の事であった。姫は昨夜も夜通しまんじりとも為《し》なかったので、呆然《ぼんやり》しながら起き上って顔を洗い御飯を喰べて、何気なく縁側に出て庭の景色に見とれた。丁度秋の半ば頃で庭には秋の草花が露に濡れて、眼眩《めまぐる》しい程咲き乱れていたが、姫は又もやお話の事を思い出して、吁《ああ》、あの花が皆|善《い》い魔物か何かで、一ツ一ツに面白い話しを為《し》てくれればいいものを、彼《か》の林の中に囀《さえず》っている小鳥が天人か何かで、方々飛びまわって見て来た事を話して聞かせるといいいものをと独《ひと》りで詰《つま》らなく思っていると、不意に耳の傍で――
「美留女姫、美留女姫」
 と奇妙な声で呼ばれたので、吃驚《びっくり》してふり向いた。見るとそれはつい昨日《きのう》の事、美留女姫の兄様の美留矢《みるや》が、明日《あす》王様に差し上げるからそれまで飼っておいてくれと云って、美留女姫に預けた一羽の赤い鸚鵡《おうむ》で、美留矢の家来が東の山から捕《と》って来たものであった。美留女姫はこれを見ると淋《さび》しい笑みを浮かめて――
「まあ、お前だったのかい、今呼んだのは。まあ、何という利口な鳥でしょうねえ。最早《もう》妾の名前を覚えたの。大方お父様かお母様の真似でも為《し》ているのでしょう。本当にお前は感心だわねえ」
 と云いながら、籠《かご》の傍に近寄った。けれども鸚鵡は籠の真中の撞木に止まりながら、矢張《やっぱ》り姫の名を呼び続けた――
「美留女姫、美留女姫、美留女姫」
 これを聞くと姫は益々笑いながら――
「まあ、可笑《おか》しい鸚鵡だ事。わかったよ、わかったよ、妾はここに来ているではないの。そうして妾に何か用でもあるの」
 と尋ねた。すると不思議なことには赤鸚鵡が忽《たちま》ち姫の前の金網へ飛び付いて、姫の顔を真赤《まっか》な眼で見つめながら――
「美留女姫、美留女姫、用がある。話がある、面白い話しがある」
 と呼んだ。
 美留女姫はこれを聞くと、真青になって驚いた。真逆《まさか》こんな鳥が、人間と同じように、しかも自分に話しかけようとは夢にも思わなかったのだから、怪しんだのも無理はない。余りの事に呆《あき》れて口も利けなくなって、茫然《ぼんやり》と鸚鵡を見つめていると、赤鸚鵡は構わずに叫び続けた――
「怪しむな、驚くな、美留女姫、美留女姫。
 お前の願いは今|叶《かな》った。
 新規の話しを聞きたいという。
 お前の願いは今叶った。
 行け行け、街に行け。
 たった独《ひと》りで街に行け。
 この広い街中で一番長く生きている。
 白髪《しらが》頭の人に聞け。
 不思議な姿の人に聞け。
 その人の身の上話しを……
 悧口な美留女姫。
 賢い美留女姫。
 疑うな、怪しむな、夢でない、本当だぞ。
 疑うな、怪しむな、夢でない、本当だぞ」
 美留女姫はこの時やっと吾《わ》れに帰って、夢から覚めたように思いながら、鸚鵡の言葉を一心に聞いていた。そうして心の中《うち》で、この不思議な鳥の言葉を、驚き怪しみながらも亦《また》、その云う事が決して偽《いつわ》りでも出鱈目《でたらめ》でも何でもなく、本当に珍らしい話しを聞くのに、一等都合の宜《よ》い巧《うま》い工夫を教えている事が解《わ》かって、心から感心した。成る程この街で、一番珍しい奇妙な風体《なり》をしている、一番|長生《ながいき》の白髪頭の老人を見付け出して、その人の身の上話しを聞かしてもらえば、屹度《きっと》面白い新規の話を聞く事が出来るに違いない。又|仮令《たとい》そんな人でなくとも、身の上話しならばどんな人を捕まえても、十人が十人違っている筈《はず》だから、同じ話を二度聞かされる心配はない。そうしてその御礼には、書物を一冊買うだけのお銭《あし》を遣れば、貧乏人等は喜んで話して聞かせるに違いないと、こう考え付くと美留女姫は、最早《もう》一秒時間も我慢が出来なくなった。眼の前の鸚鵡の事も忘れてしまって、直ぐに自分の室《へや》に帰って帽子を頭に載《の》せるが早いか、たった一人で家を出て只《と》ある人通りの多い橋の袂《たもと》へ駈けて来た。
 そこに暫《しばら》くの間立って待っていると、間もなくよい都合に向うから、お誂《あつら》え通りの奇妙な風体《なり》をした白髪頭の人が遣って来たから、姫は天にも昇らんばかりに喜んで、いきなりその人の前に駈け寄って袖《そで》に縋《すが》りながら十円の金貨を出して、身の上話をしてくれと頼んだ。その人は頭に高い帽子を三段も重ねて耳の処まで冠《かむ》っていた。そして身には赤い襯衣《しゃつ》を着て、青い腰巻の下から出た毛だらけの素足に半長《はんなが》の古靴を穿《は》いていたが、赤い顔に白髪髯《しらがひげ》を茫々《ぼうぼう》と生《は》やして酒嗅《さけくさ》い呼吸《いき》を吐《は》きながら、とろんこ眼で姫の顔を呆れたように見つめていた。けれども姫から大略《あらまし》の仔細《わけ》を聞くと、大きな口を開いて笑い出した――
「アハ……。そうか。ではお前はここまでお話しを買いに来たのか。成る程、それは巧い思い付きだ。そうして第一番に俺を捕《つか》まえたのは感心だ。
 世界中で俺位面白い愉快な身の上を持っているものは、他に唯の一人も無いのだからな。では今から話すからよく聞きなよ。俺は小さい時から酒が好きで、どうしても止められなかったんだ。親が死んでも構わずに酒を飲んだ。嬶《かかあ》や小供が死んでも矢張《やっぱ》り酒を飲んだ。家《うち》が火事になっても、打《う》っ棄《ちゃ》っておいて酒を飲んでいた。嬉《うれ》しいと云っちゃ飲んだ。悲しいと云っちゃ飲んだ。昨日《きのう》も飲んだ。今日もたった今まで飲んだところだ。明日《あした》も明後日《あさって》も……大方死ぬまで飲むんだろう。今からも亦《また》、お前のお金で飲んで来ようと思うんだ。これでお仕舞い……目出度《めでた》し目出度しかね。ハハハ。イヤ有り難う。左様なら」
 と云ううちに姫の掌《てのひら》の中の十円の金貨を引ったくって、よろよろとよろめいて行った。
 姫は大層面白い話だとは思ったが、何しろあんまり短くて張り合いがなかった。だから今度はなるべく長く委《くわ》しく話してもらおうと思って、酔《よ》っ払《ぱら》いのあとから通りかかったお婆さんの傍へ寄って、事情《わけ》を話して身の上話しを聞かしてくれと頼んだ。
 このお婆さんも不思議な風体《ふうてい》で、頭は白髪が茫々《ぼうぼう》と乱れているのに、藁《わら》で編んだ笠を冠《かむ》り、身には長い穀物《こくもつ》の袋に穴を明けたのに両手と首を通して着ていて、足には片方《かたっぽう》にスリッパ、片方には膝まで来る長靴を穿《は》いて、一尺ばかりの杖を突張って地面に這い付く程に腰を曲げていた。そうして矢張《やっぱ》り最前の酔払いと同じように、美留女姫が出し抜けに奇妙な事を頼んだのに驚いたと見えて、杖につかまって腰を伸ばしながら、霞んだ眼を真《ま》ン円《まる》にして姫の顔を見ていたが、やがてニヤリと笑いながら金貨を貰ってそのまま杖を突張って行こうとした。姫は慌てて袖に縋《すが》って――
「アレお婆さん。お話しはどうしたのです。何卒《どうぞ》あなたの身の上話を聞かして下さいな」
「何も話す事はありませぬ。只《ただ》三万日の間つまらなく長く生きていたばかりで御座います」
「まあ三万日……八十年ですわね。でもその間に何か珍しい事があったでしょう」
「アア。そうそうたった二ツありましたよ」
「それはどんな事ですか?」
「一ツは生れてはじめてお話気違いというものを見た事で御座います」
「オヤ。いつ、どこで?」
「今、ここで」
「マア。ではも一ツは?」
「十円の金貨というものをこの手に生れて初めて握った事で御座います。ほんとに有り難う御座いました。さようなら」
 と云いながら袖をふり払ってどこかへ行ってしまった。
 こんな風に遇《あ》う者も遇う者も皆姫を気違いか馬鹿扱いにして、散々|嘲弄《からか》ってはお銭《あし》を持って行ってしまったから、一時間と経たぬうちに姫の財布はすっかり空っぽになってしまった。その中《うち》でも非道《ひど》い奴はお金も何も取らない代りに――
「俺は今忙がしいんだ。そんな馬鹿の相手になってはいられない」
 と剣突《けんつく》を喰《くら》わして行ったものもあった。
 姫はもうすっかり気を落してしまって、迚《とて》もこんな塩梅《あんばい》では一生涯面白い珍らしい話を聞く事は出来ないであろう。彼《か》の赤|鸚鵡《おうむ》は嘘を吐《つ》いたのか知らん。もし本当にこれから一ツも新しいお話を聞く事が出来なければ、もう一生涯何の楽しみも無くなってしまったのだから、死んだ方がいくら良《い》いか知れない。噫《ああ》、情ない事になった。詰《つま》らない事になったと、しくしく泣きながら、街外れの只《と》ある河岸まで来るともなく歩いて来ると、そこに立っている大きな銀杏《いちょう》の樹の根元に腰をかけて、疲れた足を休めようとした。けれどもまだ腰をかけぬ前に姫はその銀杏の樹の根元に思いがけないものを見つけて、忽《たちま》ち躍《おど》り上らんばかりに喜んだ。その時姫が見付けたのがこの白髪小僧と題した不思議なお話の書物であった。
 姫はこの書物が、竜《りゅう》のようにうねった銀杏の樹の根本に乗っているのを見つけると直ぐに、この書物こそ自分が今まで一度も見た事のない書物だと思って、思わず駆《か》け寄って手に取ろうとしたが、又ハッと気が付いて立ち止まった。見れば大分古びた書物のようだから、これは屹度《きっと》誰かがここに置き忘れて行ったものに違いない。して見ればこれを黙って開いて見るのは泥棒と同じ事だと思って、出しかけた手を引っこめた。
 姫は折角こんな有り難い事に出くわしながら、指一本指す事も出来ず、持ち主の来るのを待っていなくてはならぬのが、自烈度《じれった》くて堪《たま》らなかった。早く持ち主が来てくれればいい。そうして自分にこの書物を貸してくれればいいと、足摺りをして立っていた。けれどもどういうものか、持ち主は愚《おろ》か人間らしいものは一人も遣って来ないで、その代りに空から銀杏の葉が黄金《こがね》の雪のようにチラチラと降って来て、書物のまわりに次第次第に高く積りはじめた。そうしてその黒い表紙がだんだんと見えなくなって、もうあと一二枚落ちるとすっかり銀杏の葉で隠れてしまいそうになると、最前《さっき》から我慢の出来るだけ我慢をしていた姫は、もう堪《たま》らなくなって、我れ知らず傍に走り寄って、銀杏の葉を掻《か》き除《の》けて書物を拾い上げて、表紙を一枚夢中でめくって見た。
 すると姫は又もやそこに夢ではないかと思う程不思議なものを見つけた。その初めの処にはっきりとした文字で『白髪小僧と美
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