れと一所に濃紅姫は、あまりの恐ろしさに気絶して、床の上にたおれてしまいました。

     二十一 死の夢

 それから何日経ったか、何時間経ったか知りませぬが、濃紅姫は不図《ふと》気がついて眼を開いて見ますと、自分はいつの間にか、今まで見た事もない美しい室《へや》の真中に寝台《ねだい》を置いて、その上に白い布団に包《くる》まって寝かされております。そうして頭の上に灯《とも》った絹張りの雪洞《ぼんぼり》から出る蒼白い光りで見ると、自分の左右には、御目見得の時に居た四人の女が宮女の姿をして、自分の介抱をしながら寝台の縁によりかかって、四人共いぎたなく睡《ねむ》っている様子です。
 濃紅姫はまだ夢を見ている気で、又眼を閉じてスヤスヤと眠りました。するとこの時に寝台の蔭から一匹の蛇が宝石の鱗《うろこ》を光らせながらぬらぬらと這い上りました。そうしてスヤスヤと眠りに落ちている姫の懐《ふところ》に這い込んで、玉のようにふくらんだ乳房の下を静かに吸い初めました。そうして間もなく腹一パイに血を吸いますと、口からポタポタと吐き出しましたが、その血は皆燃え立つような紅玉《ルビー》になって、サラサラと濃紅姫の胸から寝床や床の上に転がり落ちました。こうして吸っては吐《は》いて、何度も繰り返す内に、濃紅姫の身体《からだ》は、まるで宝石に埋まったようになってしまいました。
 この時濃紅姫はスヤスヤと眠りながら不思議な夢を見ておりました。
 その夢はいつか知らず濃紅姫が睡っている時に、どこか遠い遠い処で歌を謳《うた》う声が聞こえて来ました。その声は如何にも清く美しくて、自分の妹の美紅姫の声によく似ておりましたから、濃紅姫は不思議に思いまして、どこで謳っているのであろうと、耳を聳《そばだ》てて聞いておりますと、その声はだんだん近くなってつい直ぐ隣りの室で謳っているようで、しかもその歌は美紅姫が謳っているのでなく、この間紅矢兄様が王宮に差し上げた、あの赤い鳥の為業《しわざ》だという事がわかりました。その歌はこうでした。
「扨《さて》もあわれや濃紅姫。
 扨も悲しや濃紅姫。
 親兄弟に生きわかれ、
 又死にわかれ泣きわかれ。

 花の冠戴いて、
 花の束をば手に持って、
 花で飾って馬車の中、
 身は生きながら葬《とむら》いの、
 姿となった濃紅姫。

 藍丸国の王様を、
 慕《した》う心の一すじに、
 今日のお目見得来て見れば、
 藍丸王のお后は、
 自分でなくて妹の、
 美紅か悪魔か海の魔か。

 今王宮の奥深く、
 ひとり静かに眠る時、
 熱い涙が眼に湧いて、
 右と左にハラハラと、
 流れ落ちるは夢ながら、
 夢ではないという証拠。

 夢の中なる夢を見て、
 夢とは知らぬ現《うつつ》にも、
 つらい悲しいこの思い。
 われから迷う身の行衛《ゆくえ》、
 知っているのは世の中に、
 赤い鸚鵡の他にない。

 世に美しい柔順《おと》なしい、
 女の中の女とも、
 見ゆる濃紅が何故《なにゆえ》に、
 王の后になれないか。
 美紅か悪鬼《あくま》か王様の、
 后になったは何者か。

 知ってる者は他にない。
 黒い海には波が立つ、
 青い空には雲が湧く、
 昔ながらの世の不思議、
 今眼の前に現われた、
 赤い鸚鵡の他にない」
 濃紅姫はこの歌を聞きながらソロソロと起き上って、隣りの室《へや》の戸口に来て、なおも耳を澄ましていますと、たった今まできこえていた鸚鵡の歌はピタリと止みまして、室《へや》の中に人の居る気はいも為《し》ませぬ。
 そうして思いもかけぬ後《うし》ろから、そっと姫の肩に手をかけた者がありますから、ハッとしてふりかえって見ますと、それは懐かしい藍丸王でありました。王は親切に姫の手を執《と》って――
「お前はもうすっかり気分はよいのか。昨日《きのう》の朝お前が気絶した時、俺《わし》は随分心配したが、最早すっかり治ったのか。それは何より嬉しい事だ。では最早《もう》夜が明けたから二人で花園に散歩に行こうではないか」
 と仰せられます。濃紅姫は不思議に思って、今は冬で御座いますから何の花も御座いますまいと申しますと、王様は御笑いになって、まあ来て見るがいいと無理に姫を花園に連れておいでになりました。
 来て見るとこれは不思議――春秋の花が一時に咲き揃って、露に濡れ旭《あさひ》に輝やいていますから、濃紅姫は呆れてしまって、恍惚《うっとり》と見とれていますと、王様はニコニコお笑いになりながら――
「どうだ、濃紅姫。俺《わし》が咲かせようと思えば花はいつでもこの通りに咲くのだ。併しお前に聞いて見るが、お前はこの沢山ある花の中で、どの花が一番好きなのか。赤か。青か。黄色か。それとも白か。黒か」
 とお尋ねになりました。
 濃紅姫は暫く返事に困って考えていま
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