してさも悲しそうに独り言を云いました。――
「噫。やっとわかった。悪魔の逃げ途《みち》がやっとわかった。悪魔はあの銀杏の樹から逃げ出したのだ。この間の夢は正夢であった。美紅姫はたしかにあの夢を見たに違いない。そして王様も御覧になったに違いない。
 そうだ。王様は美紅姫と一所に悪魔に魅入られておいでになるのだ。否《いや》。事に依るとあとの四つの悪魔が……王様の御姿を盗んで……」
 青眼先生はここまで云って来ますと、忽ちブルブルと身ぶるいをして屹《きっ》と王宮の方を眺めました。その顔は見る見る青褪《あおざ》めて、眉を釣り上げ唇を噛み締めました。
 けれどもやがて何かに心付いた事でもあるのか、ホッと深いため息を吐《つ》いて、頭《かしら》を低《た》れて両方の拳を固く握り締めて申しました――
「そうだ。自分はどうしても王様の正体を探り出さねばおかぬ。恐れ多い事ながら、もし今の藍丸王様が本当の藍丸王様でなかったならば……自分は是非本当の藍丸王様を探し出して、それを守《も》り立て、今の藍丸王様を退けねばならぬ。悪魔を退治てしまわなければならぬ。美紅姫のようにしてしまわずにはおかぬ。それにしても宝蛇……この家を咀《のろ》った宝蛇はどこへ行ったであろう。差し当り先ずこれから探り出さねばなるまい。
 気の毒なのはこの家《うち》の人々だ。家《うち》中すっかり美紅姫に魅入った悪魔のために咀われてしまった。そして私はそれを助ける事が出来なかった。私の力が及ばぬとはいいながら二人までも死人を出してしまった。この家の人々は嘸《さぞ》私を怨んでおいでになるであろう。嘸《さぞ》頼み甲斐の無い奴と思っておいでになるであろう。
 けれども仕方がない。その申訳をすればこの国の秘密をすっかり話して終わなければならないのだから。噫、この秘密……誰にも話す事の出来ないこの秘密。焼いて灰にしてあの銅の壺に入れた秘密。そしてそれを番するという、世にも六《むず》ケしい私の秘密の役目。国中の人間を皆殺しても、守らねばならぬ秘密の役目。何という不思議な六ケしい役目であろう。噫、私は何故《なぜ》青い眼に生れたろう。青い髪毛《かみのけ》と青い髯を持った男に生れたろう。最早他に青い毛を生《は》やした青い眼玉の男は一人も居ないかしらん。居たら直《す》ぐに、私はこの大切な秘密の役目を譲ってしまいたい。
 そうして私は毒でも飲んで死んでしまいたい。
 噫。藍丸の国の秘密は灰になった。美紅姫の心の秘密は氷になった。紅矢の拳固の秘密は鉄になった。私の役目の秘密は何になるであろうか。石か。木か。水か。土か。何でもよい。早く青い眼、青い髪の男に出会って、この秘密を譲って、この恐ろしい役目を忘れたい」
 青眼先生の独り言の中《うち》には次第に不思議な言葉が、いくつもいくつも出て来ました。けれどもここまで云って来ました時、青眼先生は唇を閉じてじっと窓の外の遠い処を見ました。そこには絵のように美しい藍丸王の宮殿が見えて、そこから又もや最前よりもずっと賑《にぎ》やかな音楽の響が聞こえて来ました。これはいよいよお目見得の式がはじまるという前兆《まえし》らせでした。

     二十 海の女王

 この日御目見得に来た女は都合六人ありました。その内四人は、東西南北の四ツの国から、一人|宛《ずつ》選《よ》り抜かれて集まった女で、皆|各自《めいめい》の国の自慢の冬の風俗をしておりました。北の国の女は、美事な獺《かわうそ》の皮の外套を着ておりました。南の国の女は、水鳥の毛で織った上衣を着ておりました。東の国の女は、空色の絹の裾を長く引いておりました。そうして西の国の女は、夕陽のように輝やく緋色《ひいろ》の肩掛けを床まで波打たせておりました。この四人は皆四つの国々の中で、一等利口な一等美しいお姫様でしたが、併し他の二人の美しさに比べますと、まるでお月様と亀如《すっぽん》程違っておりました。
 他の二人は濃紅《こべに》姫と美留藻《みるも》でした。
 濃紅姫は、最前家を出た時の通り白い着物の上に黒狐の外套を重ねて黄薔薇の花籠を手に持っていましたが、その何となく悲し気な気高い優しい姿は、他《た》の四人の女達と一所に置くのも勿体ない位に思われました。けれども今一人はこれと違って、大きな金剛石《ダイヤモンド》の鈕《ぼたん》を着けた紫色の男の服に華奢《きゃしゃ》な銀作りの剣を吊るして、頭《かしら》に冠《かむ》った紫色の帽子には白鳥の羽根を只一本|挿《さ》していました。そうしてどうした訳か、その上衣の上から第一番目の鈕は他《た》の金剛石《ダイヤモンド》と違って一輪の大きな白薔薇を付けていましたが、それが又誠によく似合って、眩《まぶ》しい位|凜々《りり》しく華やかに見えました。
 この珍らしいお目見得の式を見に来ていた国々の貴い人々は、
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