しかしその結果が可笑《おか》しな事になった。東京市内の遊蕩児の相手になる女は、全体から見て却《かえ》って増加した事になった。つまり浅草では、六百人の女がタタキ散らされたあとに、又六百人の女が公然備え付けられた事になった。

 しかもそれ許りに止まらぬ。
 浅草は震災前から特別な処である。しかも震災後、各種の興行物や飲食店なぞが作る、所謂浅草気分は数層倍濃厚になった。これに吸い寄せられて来る人々も震災前に数倍した。
 ところで浅草気分に浸《ひた》りに来る人々は皆、或る種の欲求を持って来る人々である。その欲求の大部分は芸者では満たされない。一円五六十銭から七八円の女を求めて来る者が、二三十円から四五十円の女を求めて来る者よりずっと多いのは無論である。
 こうした低級な享楽的要求に満ち満ちた浅草界隈に、こうした低級な享楽気分を売る店が出来るのは当然である。券番だけで足りないのは当り前である。事実、浅草の千束町が潰れると、浅草全体が千束町となった。もっと華やかな、もっと濃厚な、そうしてもっと広い区域になった……と知るや知らずや、その筋のお役人は、千束町のあとに並んだ果物屋だけを勘定して、浅
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