安価な食欲と性欲の提供業は期せずして共同した。そうして今日までズーッと繁昌して来た。その当時と今の違うところは、その間《かん》に著しい価格の階級が出来ているだけの事である。
飛んだ紀の國屋文左衛門
昔、紀の國屋文左衛門は、江戸の大火と見ると、すぐに木曾に材木を仕入れに行ったという。大正の大震火災では、東京が灰燼《かいじん》になったと見ると、一目散に東京を飛び出して、五人十人二十人三十人と醜業婦を仕入れて帰って来て大金儲けをしたものが多い。
相生署の某刑事は云った。
「大抵は芸者にしてやるからと云って連れて来たのが多いようです。勿論、芸者にはしません。非道《ひど》いのになると、四人の少女を一人一人一室に監禁して、便器と枕と布団だけ宛《あて》がっていたのもあります。稼がなければ喰わせないのだから堪まりません。経験のある女を仕入れて来た奴の中には、富豪の邸の焼けあと、空虚になった工場の中などで切り売りをさせたのもあったそうです。私はこの頃東京に来たので事実は知りませんが、先輩がそんな話をしておりました。遠いのは東北から越後方面から連れて来たのもあったそうです。何しろ震災後今
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