式傾向の具体的説明はここに避ける。その男性(夫をも含む)を虐待し、その苦痛を忍受しつつ唯々諾々として自分の美の光りを渇仰する有様を見て、初めて愛欲の徹底的満足を受ける実況は、容易に覗《うかが》い得られぬと云うに止めておく。只ここに特筆しておきたいのは、このサジ式の性格を有する婦人のサジ趣味が所謂虚栄というものと関係がある、恰《あたか》も教育とヒステリーのそれのごとく切っても切れぬ関係があるということである。
但、これは記者の新説でも何でもない。
事実上、婦人のサジ性が生んだ虚栄は、新東京の新文化に興味ある影響を与えているのである。
又話が理窟っぽくなるが、事実を説明するためには止むを得ない。
「理解ある結婚」という言葉が非常に流行するが、言葉と実際とは大きな違いで、現在のところでは、「理解ある」という言葉を「野合」の「野」の字に当てはめた方が早わかりである。
九州あたりではそうではあるまいが、震災後の東京ではそうである。強いて理窟をつければ、教育ある男女の「野合」のことを「理解ある結婚」と名づくるとでも云おうか。そうして東京は、この流行の中心と認められている。
こうした結婚が
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