ロボロの百姓おやじに訪問を受けた時、わざわざ土間に降りて、低頭平身して挨拶をした。
「私どもは娑婆のアブク銭を掴んで喰う罰当りで御座います。お百姓様のような、正真正銘の仕事をするお方の上手に座るような身分のものでは御座いません」
 というのがその趣旨であった。
 当局の農村振興宣伝と間違えてはいけない。それとこれとは意味がまるで違う。都会に住む、手の白い役人や学者が、日給を貰って名文に綴り上げて、メガホンで吹き散らすお役目物の宣伝と、この侠客の態度とは、その真実味に於て、鉄の弾丸と風船玉ほどの違いがある。
 吾々日本人は、この博徒の一親分の言葉に依って自覚せねばならぬ。同時に、地方の自然を相手に稼ぐ労働者諸君は、この言葉に依って覚醒せねばならぬ。
 吾々地方人は東京に何物をも与えてならぬ。東京が如何に巧言令色を以て吾々を招くとも、これに眩惑されてはならぬ。東京の中で最も美しく、大きく、貴《たっと》く見えるものでも、地方人の額の汗の一粒に及ばぬ事を知らねばならぬ。
 現在|擡頭《たいとう》しつつある無産階級の運動でもそうである。それが都会人、殊に東京人の指導下にある間は、将来、結局無価値
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