すると限りもないが、多少脱線の嫌いがあるから略するとして、要するに東京は、学者として、又は学生として摺《す》れっ枯《か》らしに行く処である。もしくはいろんな風潮にカブレて、自分の学問の根底を握る精神力を空《から》っぽにしに行く処である。少くとも東京の学校の学生と教師は、日本を指導する意気はない。学者も学生も、唯、自分の地位や飯喰い種に、学問を売り買いしているとしか見えないのである。
 重ねて云う。
 東京は日本のすべての文化の中心機関の在る処と認められている。
 東京というボイラーに投げ込まれて初めて、石炭は火となり、水は水蒸気となるが如くに考えられているが、これは大変な感違いである。
 東京は、地方に芽ざした聖い仕事の種子を積上げて、腐らして、あらゆる不良政治家、不良事業家、不良学者、不良老年、不良少年少女の根を肥やすための大堆肥場である。そのためにあれだけ大きな家が並び、あれだけの砂ほこりが立ち、あれだけの電燈が輝いているのである。その中に身も心も投げ込んで、腐れ爛れて行く自己を楽しむべく、人々は東京へゆくのである。
 そのほかに東京に何の用があるであろうか。
 静かに胸へ手を置い
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