が生徒に頭を下げて、どうぞ勉強して下さいという時代に変化しかけて来た。
学校へ行くという事のために、子供は親にいくらでも金を要求していい権利が出来そうになって来た。同時に服装の自由はもとより、登校の自由、聴講の自由までも許さなければ、学校の当局がわからず屋だと云われる時勢となって来た。
東京に鬱積した不良性
金取り本位、人気取り専門の私立学校や職業学校、又はその教師たちは、先を争ってこの新しい傾向に共鳴した。前に述べた各種の運動でねうち[#「ねうち」に傍点]を削られた官立の諸学校も、多少に拘らず、こんな私立学校とこんな競争をしなければならぬというような気合になって来た。
学生の自由は到る処に尊重された。無意味に束縛されていた人々が、今度は無意味に解放されるようになった。
その結果は、益《ますます》男女学生の自堕落を助長するのみであった。
若い人々に無意味の自由を与えるという事は、無意味に金を与えるのと同じ結果になる。いい方に使おうとしないのが大部分である。
最近の日本の無力な宗教家、道徳家、政治家、教育家及一般社会の人々は、総掛りで少国民の向上心を遮った。堕落の淵に落ち込むべく余儀なくしてしまった、と云っても過言でない。
そうして、この傾向の最も甚だしかったのは震災前の東京であった。
都会の少年少女は取りわけて敏感で早熟である。就中《なかんずく》東京の少年少女は最も甚だしい。東京人がその敏感と早老を以て誇《ほこり》としているように、少年少女もその早熟と敏感とをプライドとしているかのように見える位である。
彼等少年少女は逸早くこの世紀……〔以下数行分欠〕……
性教育の必要はその中から叫ばれ始めた。これは解放教育の結果がよくないのを見て、まだ解放し足りないところまで公開せよ、そうしてあきらめをつけさせろという議論である。
ところへ過般の大地震が来た。解放も解放……実に驚天動地の解放教育を彼等子女に施した。
………連載一回分(二千字前後)欠………
男女共学と異性の香
震災後、東京の各学校の大多数は、一種の男女共学を試みねばならなかった。
焼け出された女の学校が、男学校の放課後を借りて授業を続けた。倒れた学校の男学生が、女学校の校舎を借りて夜学をしたなぞいう例がいくらもあった。
これがわるかったと警視庁では云う。
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