黒白ストーリー
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)苦味走《にがみばし》った

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)又|仕舞《しま》い込んだ。

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]
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   材木の間から



     ―― 1 ――

 飯田町附近の材木置場の中に板が一面に立て並べてあった。イナセな仕事着を着た若い者三平はその板をアチコチと並べ直しながらしきりにコワイロを使い、時には変な身ぶりを交ぜた。三平は芝居気違いであった。
 三平はふと耳を澄ました。材木の間から向うをのぞいたが、忽ち眼を丸くして舌をダラリと出した。
 インバネスに中折れの苦味走《にがみばし》った男と下町風のハイカラな娘が材木の積み重なった間で話しをしている。
 三平は耳を板の間に押し込んだ。
 …………
 じゃ今夜飯田町から……
 終列車……
 エ……
 ここで待っててネ……
 妾《わたし》がお金を盗み出して来るから……
 二千円位あってよ……
 …………
 三平はビックリして又のぞいた。
 …………
 …………
 娘は立ち去った。
 あとを見送った男は舌なめずりをしながらあたりを見まわした。凄い顔をしてニヤリと笑った。
 三平は材木の隙間から飛び退《の》いた。そこをジッと睨んで腕を組んだ。そのまま鳥打を眉深《まぶか》に冠り直して材木の間を右に左に抜けて往来に出た。キョロキョロと見まわした。
 往来は日が暮れかかっていた。
 はるか向うに今のハイカラ娘が行く。
 三平はあとを追っかけた。近くなると見えかくれに随《つ》いて行った。

     ―― 2 ――

 女はガードを潜《くぐ》って水道橋を渡って築土八幡《つくどはちまん》の近くのとある横路地を這入《はい》った。三平も続いて這入った。
 娘は突当りの小格子《こごうし》を開けて中に這入った。小格子の前には「質屋」と看板が掛かっていた。
 三平はその前に立ってあたりを見まわした。
 小格子の中から禿頭《はげあたま》のおやじ[#「おやじ」に傍点]が出て来た。三平を見るとウロン臭そうに睨んだ。
 三平は思切って鳥打帽を脱いでお辞儀をした。
 失礼ですが……
 今お帰りになったのは……
 お宅のお嬢様ですか……
 禿頭はだまって三平を見上げ見下した。ギョロリと眼を光らした。
 そうです……
 私の娘です……
 何か御用ですか……
 三平はホッと胸を撫で下した。
 ああ助かった……
 やっと安心した……
 禿頭は呆れた。三平の様子を穴のあく程見た。
 三平は禿頭の顔を見た。急に声を落して眼を円《まる》くして云った。
 タ大変ですぜ……
 お嬢さんはね……
 どっかの男と……
 今夜駈け落ちの相談を……
 三平は突き飛ばされて尻餅を搗《つ》いた。
 禿頭は睨み付けた。
 馬鹿野郎……
 あっちへ行け……
 三平は禿頭の見幕に驚いた。起き上りながらあと退《ずさ》りをした。娘が小格子から顔を出した。
 三平は慌てて逃げ出した。

     ―― 3 ――

 三平は考え考え歩いた。フト頭を上げると警察の前に来ていた。暫く立ち止まって考えていたが思い切って中に這入った。
 警官が二三人かたまってあくびをしていた。三平が這入って来ると肘《ひじ》とお尻にベッタリくっ付いた泥に眼を付けた。
 三平はヒョコヒョコお辞儀をしながら事情を話した。
 どうぞ娘を助けてやって下さい……
 警官は三人共ニヤニヤ笑った。
 一人の警官は煙草に火を点《つ》けた。
 今一人の警官は鬚《ひげ》を撫でながら三平に云った。
 よしよし……
 わかったわかった……
 安心して帰れ……
 三平は張り合い抜けがしたように三人の警官の顔を見まわした。シオシオとうなだれて出て行った。
 三平を見送った警官は顔を見合せてドッと笑い崩れた。

     ―― 4 ――

 三平は真暗になってから材木問屋へ帰った。
 親方は三平を見るとイキナリ怒鳴り付けた。
 どこへ行ってやがったんだ……
 間抜けめ……
 芝居気狂いもてえげえにしろ……
 三平は一縮みになった。お神さんからあてがわれた御飯を掻っ込むとすぐに二階へ上った。煎餅布団《せんべいぶとん》を敷いて頭からもぐり込んだ。

     ―― 5 ――

 三平は布団から顔を出して見まわした。仲間は皆寝静まっている。
 三平は起き上って帯を締め直した。押入から鳶口《とびぐち》を持ち出しかけたが又|仕舞《しま》い込んだ。腕を組んで考えたがポンと手を打ち合わせた。ソロリソロリと二階を降りた。
 三平はあたりを見まわし見まわし足音を忍ばして茶の間に忍び込んだ。箪笥《たんす》の抽出しを開いてお神さんの着物を盗み出した。それから湯殿《ゆどの》へ行って電気をひねった。
 三平は鏡をのぞきながらそこにあるお白粉《しろい》を真白に塗り付けた。黛《まゆずみ》で眉と生え際を塗った。お神さんの着物を着て帯を締めた。次にスキ毛を頭に載せて手拭いを冠った。女中の下駄を穿《は》いて裏口へ出てあとをピッタリと締めた。
 三平は風呂場の裏にまわって積んである煉瓦《れんが》を一ツ取り上げた。そこに干してある越中褌《えっちゅうふんどし》で包んで紐《ひも》でグルグル巻きにして袖の間に抱え込んだ。材木の間を通って最前の男と女が話していた処へ来てシャガンだ。ギョロリギョロリと見まわした。
 最前の質屋の娘が来かかったが三平の姿をすかして見ると急に物蔭に隠れた。

     ―― 6 ――

 質屋の娘が隠れたのと反対の方から鳥打にインバネスを着た男が近付いて来た。暗《やみ》をすかして三平を見ると近寄った。
 三平はシナを作って近寄った。
 のぞいていた娘はハンケチをビリビリと喰い裂いた。
 男はあたりを見まわした。右手でソッと短刀を抜きながら左手を三平の肩にかけて顔をのぞき込んだ。
 お金は……
 三平は左手で煉瓦の包みをさし出した。
 男は受け取りかけてビックリして手を引いた。
 三平は平手で男の横っ面《つら》を打った。
 男は飛び退《の》いて短刀をふり上げた。
 三平は煉瓦で、男は短刀で立廻りを初めた。
 娘は仰天して駈け出した。
 三平は煉瓦を投げると男の胸に当った。
 男は引っくり返った。
 三平は馬乗りになった。短刀を奪って投げ棄てた。
 男は下からはね返した。
 上になり下になり揉《も》み合ったあげく三平は組み伏せられて咽喉《のど》を絞め上げられた。
 ヒ……人殺し……
 男は短刀を拾おうとした。
 三平は拾わせまいとした。声を限りに叫んだ。
 泥棒……人殺しッ……
 男は三平を突き放して逃げようとした。
 三平は帯を引っぱって武者振り付いた。
 材木屋の若い者が大勢飛び出して来て二人を取り巻いた。
 三平は叫んだ。
 おれあ三平だ……
 こいつが泥棒だ……
 若い者が二三人男に飛び付いた。散々になぐり付けた。
 警官が質屋の娘と一所《いっしょ》に駈け付けた。
 警官は三平の顔に懐中電燈をつき付けた。
 何だ……最前の気狂いじゃないか……
 三平は腕まくりをした。奮然と詰め寄った。
 何が気違いだ……憚《はばか》んながら……
 親方が三平を遮って警官にお辞儀をした。
 若い者が警官に男を引き渡した。
 警官は男に手錠をかけて短刀と煉瓦を拾った。親方と娘と三平を連れて警察に帰った。

     ―― 7 ――

 警察に駈け込んで来た質屋の親仁《おやじ》の禿頭は娘の顔を見ると泣いて喜んだ。手錠をかけられた男を見ると掴みかかろうとした。
 親方は遮り止めて事情を話した。
 禿頭は三平を伏し拝んだ。娘を三平の前に連れて来て礼を云わせた。
 娘はチョッと色眼を使って三平の前に三ツ指を突いた。
 三平は変梃《へんてこ》な身ぶりで礼を返した。
 親方と警官は腮《あご》を撫でた。
 手錠をかけられた男は恐ろしく面《かお》を膨《ふく》らした。
[#改ページ]


   光明か暗黒か



     ―― 1 ――

 眼科の開業医丸山養策は数年前妻を喪《うしな》ってから独身で暮して、一人娘の音絵《おとえ》にあらゆる愛を注いだ。
 音絵は当年十九歳で女学校を優等の成績で卒業し、女一通りの事は何くれとなくたしなんでいたが、わけても箏曲《そうきょく》を死ぬ程好いていた。
 音絵の琴の師匠は歌寿《うたず》と呼ぶ瞽女《めくら》の独り者であった。歌寿は彼女の天才をこの上もなく愛して、「歌寿」と彫った秘蔵の爪を譲り与えて丹精《たんせい》を籠《こ》めて仕込んだが、いよいよ秘伝を授けるという段になって歌寿は重い喘息《ぜんそく》に罹《かか》った。
 音絵は親身《しんみ》になって心配した。毎日家事のすきまを見ては程近い歌寿の家を訪ねて介抱してやった。ところが不思議な事には音絵が親切にしてやればやるほど、歌寿は悲しそうな淋しげな表情になるのであった。時折りは涙さえ流した。
 音絵は不審に思い思いした。

     ―― 2 ――

 音絵は相弟子でよく歌寿に尺八を合わせてもらいに来る赤島哲也という青年が居た。富豪赤島鉄平の長男で大学生であったが不成績で落第ばかりしていた。その代り尺八はかなり吹ける方で自分では非常な天才のつもりでいた。
 哲也は師匠歌寿が秘蔵の名器「玉山《ぎょくざん》」を是非譲ってくれと頼んだが歌寿は亡夫の形見だからと断った。
 無理に譲り受けると、大自慢で他人《ひと》に見せびらかした。
 哲也は又かねてから音絵をねらっていた。
 歌寿が病気になってからもしきりにやって来て親切ぶりを見せ、音絵と出会うのを楽しみにしていた。
 音絵はいつも哲也の顔を見るとすぐに逃げ帰った。
 哲也の思いは弥々《いよいよ》増した。とうとう我慢し切れなくなって父親の鉄平に「是非音絵を貰って下さい」とせがんだ。
 鉄平は「まあ学校から先に卒業しろ」とはね付けた。

     ―― 3 ――

 ある日、丸山養策が往診の留守中の事であった。
 大きな空色の眼鏡をかけた、見すぼらしい青年が杖で探り探り丸山家の表玄関に這入《はい》って来て尺八を吹き初めた。
 音絵は聞き惚れた。青年が帰ろうとすると女中に云い付けお金を遣って引き止めた。
 表門から俥《くるま》に乗った養策が帰って来てこの青年を見ると懐中から金を遣って立ち去らせた。
 出迎えた音絵は今の乞食青年が世に珍しい尺八の名手である事を父に告げた。「あのまま乞食をさせておくのは、ほんとに惜しい事」とまで云った。
 養策はすぐに女中に命じて乞食青年を呼び返させて、勝手口にまわして茶を与えて、自身に親しく身の上を問い訊《ただ》した。
 青年は赤面して再三辞退したが遂に竹林武丸《たけばやしたけまる》と名乗った。
「父は尺八、母は琴の名手であったが十九の年に死に別れ、自身も盲目《めくら》となってこの姿」と涙を押し拭うた。
 養策は憐れを催おした。その眼を一度|診《み》てやるから明日《あす》改めて出て来いと十円の金を与えた。
 武丸は土間にひれ伏して涙にむせんだ。

     ―― 4 ――

 翌朝武丸は質素な身なりを整えて来た。
 養策はその眼を診察して「これは梅毒から来たものだ。家伝の秘法にかけたら治るかも知れぬから毎日通ってみろ」と云った。
 武丸は喜び且つ感謝した。そうして「どなたか存じませぬがお宅においでになる尺八のお好きな方に、お礼のため、毎日尺八を一曲|宛《ずつ》吹いてお聴かせ申したい」と云った。
 養策は苦笑した。「実は自分の亡くなった妻が好きだったので尺八を吹くものが来ると引き止める事にしているのだ」と胡麻化《ごまか》した。
「それではその御霊前で吹かして頂けますまいか」と思い込んだ体《てい》で武丸が云うので養策はしかたなしに武丸を仏間に案内した。
 武丸はそれから毎日診察に来る度毎《たびごと》に仏前に来て、名曲や
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