影はなかった。音絵はしおしおと家に這入った。
 物蔭から竹林武丸が現れて、音絵の落した琴の爪を拾い、軒燈《けんとう》の光りに照して「歌寿」という文字を見るとハッと驚いてあたりを見まわした。押し頂いて懐中して去った。
 音絵はそれから琴を弾かなくなった。何故となく床に就き養策は限りなく心配した。

     ―― 12[#「12」は縦中横] ――

 或る夜歌寿の家に忍び込んで、歌寿の枕元に札の束の包みを置いて行ったものがあった。歌寿は不審がった。夜になると僅かな音にも眼を覚ました。それでも、その後度々の金包《かねづつみ》が彼女の枕元に置かれた。歌寿はその金に少しも手を附けずに寝床の下に隠した。

     ―― 13[#「13」は縦中横] ――

 月の冴え渡った冬の深夜であった。
 音絵の住む家から一町ばかりのとある四辻に一台の自動車が止まった。中から和服の紳士風の竹林武丸が現れて音絵の家に近寄り、尺八を取り出して「残月」を吹き始めた。
 しかし音絵は出て来なかった。
 武丸は尺八を仕舞《しま》って塀を乗り越えて、音絵の寝室に忍び入った。
 音絵と看護婦は熟睡していた。その枕元に睡眠
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